2015年6月26日金曜日

「東京インテリアショップ物語」番外編 [幹の桜]



若き天才、石田春吉率いる
インテリアショップCOREの一代勃興史
「東京インテリアショップ物語」


番外編 4
[ グラフィック博士、佐藤シンペーの物語 ]




sub-episode 4

「幹の桜」


1

広告代理店に勤める、佐藤慎平の妻が姿を消したのは6月の蒸し暑い夜だった。

深夜過ぎの帰宅。

鍵穴を回した時の感触がいつもと違っていた。いつもよりふわっとシリンダーが回った感じ。

玄関口から見える、暗いLDK。
カーテンを引いていない窓。
6月の雨がガラスにいく筋もの雨だれを作っていた。

ダイニングテーブルがキレイに片付いていた。僕はそこに何か普通じゃない雰囲気を感じたんだ。なにかすごく大事なものがまるっと抜け落ちたような、不吉なテーブル。普段、勘のニブい僕がその晩はやたら冴えていた。

「美沙ちゃん?」

僕は小声で妻の名前を呼んでみた。
返事はなかった。
かわりに冷蔵庫がウィーンと音をたてた。

僕は靴を脱ぐのももどかしく、あわてながら、手近のトイレとバスルームを確認した。どこにもいなかった。最後の部屋。ベッドルーム。普通に考えて、ここにいるはずなんだ。でもなんだろう。この感じ・・・。

ノブに手をかけて、開いた。

美沙はいなかった。

奥の窓の側。

ベビーベッドに娘の夏姫が立っていた。
こちらに背を向けて、柵に付いた小さなマスコットをいじっていた。

「夏姫ちゃん!!」

僕の声に夏姫が振り向いた。
夏姫が、はにかんだように、
にこっと笑った。

「お母さんは?
どこに行ったの?」

1歳半の夏姫。
まだ言葉を喋れない。
なぜかまだ、ハイハイもできない。

「お母さんどこ行ったんだろうね」

抱っこすると、
彼女は一瞬、キョトンとした顔をして、
そして急に堰を切ったように泣き始めた。
おなかを僕の顔につけて、僕の頭に手をまわして、しがみつくように大きな声で泣き出した。

ど、どうしよう。
とりあえずミルクを作った。
彼女はそれをングングと飲み始めた。

飲み終えて、まだ泣きそうだったから、僕は夏姫をだっこして「よしよし」って背中を優しく叩いた。そしてその格好のまま、右手で携帯を取り出した。携帯電話、SNSメッセージ、LINE。考えられる連絡先に全部連絡を入れた。レスポンスはなかった。そうだ。何かの事故かもしれない。警察だ。もう一度iPhoneに目を落とした時、ギクっとした。メールの件数表示アイコン。「1」。AM2:00。最後にメールをチェックしたのは自宅のマンションに着いた時。こんな深夜に他人からメールなど来るはずもなかった。あわててメールを開いた。

「慎平へ」から始まる超長文のメール。美沙ちゃんからだった。知らずのウチに正座になった。読み進める。そこには、出会った頃の気持ち、それがどのように変化していったか、どんな心の変化が起こり、何が辛かったか、そして最終的に出した結論に今どんな気持ちでいるかが克明に書かれてあった。でも・・・。そこには僕のことも夏姫のこともまったく書いていなかった。

「全部自分のことじゃないか !!」

僕は携帯を床に叩き付けた。腕の中で、半分寝かけていた夏姫がハッと起きて、僕の顔をピシャッとたたいた。

「あ、ごめん」



2

「で?なんでウチなんだ?」

中目黒のボロアパートの2F。
窓から目黒川が見える。
夏姫が新ちゃんの背中に乗っている。
その向こうに桜の木の緑。

「だって、新ちゃん就職浪人だし、まだ保育園決まってないんでしょ?」

夏姫が新ちゃんの鼻を引っ張っている。

「勉強してるんだよね?保母さんの、あ、保父さんか」

「まあな」

新ちゃんがアイドルみたいなきれいな顔をブルッと振った。
夏姫がキャッキャッと笑った。

新ちゃん、伊藤新。
新ちゃん、幼稚園から大学までずっと一緒の親友。
新ちゃん、女の子だけど、心は男。
新ちゃん、性同一性障害の幼なじみ。

幼い頃から引っ込み思案の僕をいつも助けてくれた新ちゃん。いじめられると飛んできて、いじめっ子たちを蹴散らしてくれた、僕の英雄。

「なあ、シンペー。俺言ったよな、美沙ちゃんはやめとけって。こうなるのは分かってたんだぜ?」
「うん」
「で、どうすんの?」
「どうするって?」
「会社は?天下の電通は?やめんの?ようやく念願叶ったんだろ?」

僕の夢。
言葉をうまく使えない僕に神様がたった一つ与えた能力。
グラフィックと映像の才能。
僕はこの能力で世界を幸せにしたい。
そう思って入社した会社。

「やめない・・やめたくないよ」

夏姫をチラッと見た。
あっ。
おむつがパンパンになってる。

「じゃあ、美沙ちゃんを探すしかないな」

僕はおむつを替えながら頷いた。

「うん」
「しょうがねえな。じゃあ、お前の出勤中はここで預かってやるよ。男の世話すんのは絶対ごめんだけど、お前は・・・昔から、まあ別もんだし、夏姫は女の子だしな」

だけど俺の就職が決まるまでだぞ。
新ちゃんが夏姫を見ながら言った。

「大丈夫?彼氏、あ、いや彼女さんとか来ない?」

ははっ。今はいねーよ。
新ちゃんが笑った。



3

美沙ちゃんの実家に行ったり、
住民票を追いかけたり、
置いていったPCからGPS使ったり・・・。

考えられることはすべてやった。
でも彼女を見つけることが出来なかった。

夏が終わり、秋になった。

会社の仕事が手に付かなくなってきた。僕は二つのことを追いかけられない。昔からそうだ。とことん不器用で自分が嫌になる。同期のみんなの配属が決定していくのを見ながら、僕はうなだれた。

夏姫がいなければ僕だって・・・。
そう思うようになった。

でも本当は違うんだ。
僕は複雑な仕事に向かない。
単純明快な仕事を深く掘り下げる方が性にあっている。

それを夏姫のせいにしようとしているだけだ。


表参道のスパイラル カフェ。
上司の仕事の打ち合わせ。
予算表を渡すだけの仕事が2件。
一件目が早めに終わった。
次の予定が同じ場所で30分後か・・・。
僕はMacを開いた。
作りかけのグラフィックをいじる。
これをやっているときだけ、いろんな悩みから解放される。
アイスコーヒーのおかわりを注文した。

夢中になってキーボードを叩いていると、僕の肩に誰かが手を置いた。振り向く。茶色い短髪の小柄な男が立っていた。

「これ、STAR WARS?」
「はあ」

知らない人とはなかなか上手く話せない。

「すげえな」

その男が呟くように言った。STAR WARSの6作品を一枚のグラフィックにまとめたコラージュ・ポスター案。僕が勝手にやっているお遊びだ。

「すげえよ。これ一枚で全部分かる。ストーリーもそうだけど・・うーんなんて言うかな。だってさ、このタイトルロゴ。これお前が作ったの?」

あ、そこ気づいた?嬉しくなった。

「えーとですね、一作目の当初は、もちろん、あの正規ロゴで良かったんですけど、こう時間も経って、内容や時代も変化してくると、あのフォントのままじゃ気持ち悪いというか・・」

僕はハキハキ喋った。

シンペー、そのハキハキした感じ。オタクっぽくて気持ち悪いぜ?新ちゃんの言葉を思い出してハッと口をつぐんだ。

しかし、その男はフンフンと真剣に聞いていた。そして急に振り向いて大声を出した。

「アキラ!! すげえぞこいつ、天才だ !!」

つられてそっちを見た。アキラと呼ばれた長身の男が手をひらひらと振った。

「春吉、こっちが終わってないんだけどな」

春吉と呼ばれた男はチェッと舌を鳴らすと、またこっちを見た。

「お兄さん、家具に興味ない?」

家具?
あの日の光景。

きちんと片付けられた、
不吉なダイニングテーブル。

家族が壊れた日のあのテーブル。

・・・我に返った。

「あ、家具は怖い・・です」

思わず口走った。

「怖い?」
「テーブルが怖いです」
「テーブルが怖いって、お前家族に何かあったのか?」

ドキンとした。
なんで分かるんだ?

「テーブルってのは家族の象徴だ。それが怖いってのは家族になんかあったってことなんだよ」

と言って、春吉という男がニカッと笑った。

家族の象徴・・・。

「まー。興味ありってことだな」

春吉が名刺を僕に放った。

「今度、ここら辺に店作るから遊びに来いよ」

と言って、もとの席に戻って行った。



4

いつの間にか冬が終わろうとしている。


日曜日。
人のまばらな初春の目黒川。
桜のつぼみはまだ開かない。

開花すれば、ちょっとさみしいこの風景は一変する。人も沢山詰めかける。

夏姫は元気だ。新ちゃんが押すベビーカーの中で意味不明な歌を歌っている。まだ言葉は喋れない。それどころか、まだハイハイもおぼつかない。立つのは早かったんだけどな。

「発達、ちょっと遅いよな」

新ちゃんが言った。

「うん」

僕は答える。

「調べたんだけどさ、あんま気にしなくていいみたいよ。そのうち一気に来るって」

通行人が新ちゃんを見て振り返る。芸能人と勘違いしているんだ。なんで新ちゃんは中目黒なんて芸能人だらけの街に住んでるのかな。

「一気に来るって?いきなり歩き始めて、いきなり喋り始めるってこと?」

ベビーカーの夏姫を見る。あぶあぶ言いながら、ベビーカーの一部をしゃぶっている。この子がいきなり歩き始めて、いきなり喋り始める?

・・・ちょっと想像がつかないな。

「今、いろいろ溜めてんだって、きっかけがあれば、うん、そんな感じでいきなり来るらしいよ」

「ふーん」

新ちゃんが何か言いたそうにしている。女の子みたいに少しモジモジしている。まあ、どこからどう見ても女の子なんだけど。いや・・・というか、新ちゃんは最近変わった。前みたいに俺って言わなくなった。短い髪が最近は伸びている。簡単に言うと女の子らしくなってきているんだ。なんでだろう。言いたそうだけど言えないなんて、新ちゃんらしくないな。

「どうしたの?」

と聞いてみた。

「あ、うん。あのさ、シンペーにちょっと聞きたいんだけどな」
「何?」
「あ、いや、家族ってなんだろうな」

家族?
春吉という男が言っていた。

「テーブル?」

僕の返答に新ちゃんが口をムグッてさせた。はぐらかされたと思ったのかもしれない。

「まあ、いいや、忘れてくれよ」

そう。新ちゃんは最近ちょっとおかしい。就職先がまだ決まらないからかな。世の中、これだけ待機児童が多いのにな。新ちゃんをチラッと見た。やっぱり、履歴書の写真がスーツだからじゃないかな。でもそれは言えない。彼女の存在の問題だから。命をかけてもゆずれない一線だから。そう思って新ちゃんを見た。何か違和感・・ん? あれ? スカートはいてる。初めて見たな。新ちゃんのスカート。

新ちゃんがお店の前で立ち止まった。じっとショーウィンドーを見ている。ぬいぐるみの専門店だった。ドイツのブランドの直営店らしい。

「よお、シンペー、夏姫のプレゼント買ってやれよ」

そうだ。もうすぐ夏姫の2歳の誕生日だった。新ちゃんが憶えてて、僕が忘れていた。

夏姫がいなければ、仕事も上手くいくのかな、なんて最近考えてたから、忘れたんだな。きっと。

昨日の電話。
九州の僕の実家。母のセリフ。「夏姫ちゃんは一度ウチに預けなさい。もう美沙さんは戻ってこないんでしょ?新ちゃんに預けとくのも夏姫ちゃんにとっていいことじゃないわ。お父さんもいいって言ってるし、あなたはちゃんと今の夢を追いかけなさい。ね。来週迎えに行くからね」

僕の夢。
グラフィックと映像で世の中を幸せにすること。

僕はすぐにその話を新ちゃんに打ち明けた。新ちゃんはしばらく黙っていたけど、「そうだな。それがいいよな」って最後にはそう言ってくれた。

僕らはその店で小さい犬のぬいぐるみを買った。芝色のそいつはちょっと困ったような顔をして、ペロッて舌を出していた。

首輪にロゴが書いてある。
[ ファミリー&フレンド ]

夏姫に手渡した。
夏姫は・・・
そいつをぎゅーっと抱きしめて・・・
にへっと笑った。

「わんわんだよ?」

僕は顔を夏姫の顔に近づけて言った。

「言ってごらん、わんわん」

ぷすー。

夏姫は変な吐息を吐いて、
なぜか僕を見つめた。

「わんわんだよ、わんわん」

ぷすー
ぷすー

夏姫が犬のぬいぐるみをポイッと捨てた。
そして僕を小さな指で指差した。

お前のことわんわんだと思ってんじゃねーの?と新ちゃんが笑った。

「夏姫・・・・何か言ってよ」

ぷすー

僕の目に涙がにじんだ。
春の目黒川。

桜の枝木が小さなつぼみをつけていた。優しい陽だまりがあちこちにできていた。でも、本当の春はまだ先のようだった。



5

「慎平、もたもたしないで!!」

さっきから母が僕をせかしている。
ぼーっとしていた手を早めて、僕は夏姫の洋服をカバンに詰めた。

母が夏姫のベビーカーを開いたり閉じたりして研究をしている。
ふーん最近のものはよくできているのね。
夏姫は床にごろごろ転がっている。

夏姫のモノが無くなったら、部屋がとてもがらんとした。

ダイニングのテーブルに春の光が落ちていた。

美沙も夏姫もいなくなるのか。
このテーブルで僕は毎日たった一人でご飯を食べるんだ。

「あ」

わんわんを忘れた。
新ちゃんの家だ。
母に言った。

「いいじゃない。そんなの博多でも売ってるわ」

でも彼女のお気に入りなんだよ。新ちゃんにも最後の挨拶しないと。世話になったんだし。母は、まあ、そうね。とブツブツ言ってついて来た。僕の気変わりを警戒しているのだろう。夏姫にも僕にもこれが最良の方法よ、毅然としてなさい。昨夜母はそう言っていた。

タクシーが新ちゃんのアパートについた。桜はまだ咲いていなかった。最後に夏姫に見せてあげたかったな。

新ちゃんがぶすっとした顔でアパートの前に立っていた。胸にわんわんをぎゅっと抱いていた。

母が新ちゃんに挨拶した。
いろいろありがとうございました。
母はわんわんを受け取ると
ベビーカーに夏姫を乗せた。
さてと、じゃあ行くわね。
駅まで送るよ。
僕の意見は通らなかった。
キリがなくなるからと母が言った。

目黒川沿いの小道。
夏姫が遠ざかって行く。

夏姫のいろんな表情、
夏姫のいろんな仕草。
すごく大事なものが・・・
遠ざかって行く。

ぼんやりとした朝の春霞。
僕らはポツンと2人ぼっちで立っていた。
横に立つ新ちゃんが口を開いた。

なあ・・。

僕はうつむいた。
目の端に桜の花が見えた気がした。
ハッと顔を上げた。
幹に大きく桜の花びらが咲いていた。
今年初めての桜だ。

その時。

「わんわーん」

遠くから声が聞こえた。

「!」
「・・・え?」

新ちゃんがへたりこんだ。
ああ。
僕らが間違うわけがなかった。
夏姫の声だった。

「わんわーん」

へたりこんだまま新ちゃんが言った。

呼んでるよ・・・。
シンペーを呼んでるよ。

遠くで母が座り込んでいる。
すごくむずがっているようだ。
ベビーカーから夏姫をおろした。
夏姫が両手を道路につけた。
その体勢で数秒、
プルプルと震えて・・・。

「夏姫・・・」

彼女は、ゆっくりと立ち上がった。

そして・・。

新ちゃんが口に両手を当てた。

「夏姫・・・」

遠目にもわかる。
短い両手を前に出して、
一歩
一歩

『一気に来るって?いきなり歩き始めて、いきなり喋り始めるってこと?』

こっちに
歩いてきた。

新ちゃんがガバッと立ち上がった。

「シンペー ! !」

僕の手を握った。
握った手を僕の目の前に振りかざした。

「こういう家族でもいいんじゃないのかなぁ!」

わかってる。
わかっていた。

新ちゃんが少しづつ変わっていた理由も、僕は心のどこかで気づいていたんだ。

「あたしはこんな人間だけどさー
結婚できるかなんてわかんないけどさー」

いいよ、新ちゃん。
分かってるって。

「慎平の気持ちも分かんないんだけどさー」

「わんわーん」

その三度目の声に、
僕たち2人は同時に走り出した。
桜並木の視界が流れた。

気づくと
幾つもの桜の花。
季節が今、
動く。


僕の夢。
グラフィックと映像で世の中を幸せにすること。

世の中・・・?

世の中って誰だ??

それは夏姫より大事なものなのか??

夏姫ごめん。
お父さんいくじなしでごめん。
お前に答えを出させて・・・ごめん。

「夏姫ーーーー !!!」

つまづいた。
転んで顔を上げたら、
夏姫の顔が目の前にあった。

「・・・わんわん」

夏姫が僕の鼻を押した。

「わんわんじゃないよ。
お父さんだよ・・・」

声に出して泣いてしまった。
心に・・
きれいな水みたいな
何かが満ちて行った。

僕と新ちゃんは、
笑いながら泣いていた。



6


夕焼けの帰り道。

「新ちゃん・・」
「なに?」
「テーブルが欲しい」
「ふーん」
「一生使えるやつ」

僕と新ちゃんと夏姫。
ほんとはちょっといびつな3人が一つのテーブルを囲む。

『家族って何だろう』

新ちゃんは前にそう聞いたよね。
僕はね、家族の形なんて、
家族の分だけあるって思うんだ。

『テーブルは家族の象徴なんだよ』

春吉って言ったっけ。
彼はテーブルを売っているのか。
それって・・・。
すごく単純で、
すごく幸せな仕事だな。

今度、彼の店に3人で行ってみよう。

「ねえ、新ちゃん・・・」

新ちゃんが振り向いた。

「家具屋ってどう思う?」



ーおしまいー
















2015年6月20日土曜日

生きる音


若き天才、石田春吉率いるインテリアショップCOREの一代勃興史
「東京インテリアショップ物語」番外編3

孤高の接客士、朝倉舞の光と影




sub-episode 3
「生きる音」




病室の窓の外
彼女は山の間に光る青い海を見ていた
僕と同じ15歳
でも違うのは
僕が死ぬ病気で
彼女は死なない病気だということだ

彼女はああやっていつも外を見ている
ほとんどしゃべらない無口な子だった
寝苦しい夜とか
ヒンヤリとした朝に
彼女はポツンポツンと話す
部活はやってるの?
演劇部
どんな作品が好きなの?
アンナカレーニナ
そんな感じだ

今、窓からの光りが彼女を透かしている
彼女は半分光りに融けていた
とてもきれいだ
舞台の彼女はもっときれいなんだろう
僕は思い切って言ってみた
君の舞台を見てみたい
その時彼女は頬を染めてこう言った
うん。見にきて、約束ね
僕は嬉しくて
布団の中で両手をギュッと握った
文化祭・・・
秋か
がんばろう
それまではなんとかして
生きるんだ





私はその子と同室になった時
とても恥ずかしい気持ちになった
彼は知らないだろうけど
私はずっとその子が好きだった
クラスがいっしょになったことはない
でもいつからだろう
私はずっと彼が好きだった
廊下ですれ違うときは
いつも緊張して
彼の上履きしか見れなかった

私はうまく言葉を喋れない
昔からだ
友達ともうまく遊べない
だから小説や映画に没頭した
そして演劇に出会った
これしかないと思った
その世界の言葉は
私の言葉ではない
だから私は舞台の上でだけ
言葉を話すことができた

ある日いつものように
私がぼんやり外を見ていると
彼が言った
君の舞台を見てみたい
おもわず振り返った

見て欲しい

私はあなたに伝えたいことがある
どうしても伝えたいことがある
演劇のセリフに本心を乗せてこの想いを
あなたに伝えたい。
この先・・・
世界中の誰とも話せなくてもいい



お母さんと先生が廊下で話をしている
しばらくして
お母さんが僕のベッドにやってきた
いい子、いい子ね
僕の頭をなでた
隣のベットで彼女がそれを見ている
赤ちゃんじゃないんだから
やめてくれよ
でもそれは言葉にならない
代わりに
ひゅう
という風のような音が僕の口から漏れた


彼のお母さんと先生の話を聞いた
奇跡的だ
このままだと夏を越せるかもしれない
何があったのかは知らないが
今の彼からは生きる希望を感じる

私は胸の前で手を握った
それしか時間がないのか
秋までもたなかったら
私はこの気持ちを伝えられない
彼のお母さんが出て行った後
私は彼のベットの横に立って
彼と向き合った
今言えるなら・・・
今・・・
私は
口をパクパクさせた

茶色い髪が好き
優しい目が好き
照れた顔が好き

でもやっぱり
私の言葉は出てこなかった


[その夜の音]

2人の寝息の音

静かな
静かな
病室の
白いカーテンが
風になびく音

優しい
優しい
潮の香り
そして遠くに
波の音

月と満天の星の下
微かな
微かな
生きる音






何かが割れる音。
私はガバッとと布団を剥いだ。跳ね起きた。彼がベッドの上で暴れていた。ものすごい声を出していた。ベットの下。点滴のビニールケースや薬瓶が割れて粉々になっていた。私の心臓が跳ね上がった。ダメっまだダメッ。ナースコールを何度も何度も手のひらで叩いた。飛んで行って、私は彼の肩に手を置いた。凄い勢いで弾かれてしまった。彼が海老みたいに跳ねるのを見て悲鳴をあげた。ダメっそんなのダメ。もう一度私は彼に向かって、頭から突進した。抱きしめた。お願いお願いおねがいい。彼がうわごとのように何か言っていた。口に耳を寄せた。ザザザザという変な音に混じって、ごめんごめんと彼が謝っていた。何度も何度も謝っていた。私はその意味が分かった。秋まで待てなくてごめん。もう一度今度は彼の枕元のナースコールを叩いた。早くしてっ!! 早くッ!! 死んじゃう死んじゃう死んじゃうから!! 私の二の腕に、カッカッと彼が何か変なものを吐いた。それを見て私は悟った。今だ今しかないんだ。私は彼の体から離れた。そして彼の目に言った。見てて、見ててよ。絶対目を閉じないでよっ!!

ミーシャが宮廷ドレスの両端を掴んでお辞儀をする。華麗に少し小首を傾げて。

見てる?見えてる?

ナボコフが面食らったようにして、
ミーシャを見つめる。
手の甲を口に当てる。
ちょっと溜めてセリフ。

「まあ、閣下。ここにいらしたのですか。私はあの時あの列車の一号車から最後の特等車まで何往復もあなたを探しましたの」

ああっだめだよ
向こうをむいちゃった
こっちだよ
私はこっちだよ

ここで右下に視線を落として、
クルッとターンして窓に近寄る。
木の扉の蝶番が錆びているだろうから
こう・・力を入れるように開ける。
そして意思を強く持って外を指差す。

「いつかあなたの言っていた楽園。私は一人で探しに行くわ。その先で私はまた誰かを愛し、子供を育てることでしょう。でもどうぞご心配なさらずに。だって私は・・・」

振り向く。


「いつもあなたと共にいるから」


彼の目が私をちゃんと見ていた
私は生まれて始めてって言うくらいの



大きな大きな声をあげた



「心はあなたとずっと共にいるから!!!」



先生と看護婦さんが扉からなだれ込んできた。誰かに突き飛ばされた。倒れた。あなた何やってるのっ。怒鳴られた。病室が騒然とした。先生の声。すぐ治療室を・・・今すぐ!!「好きなのっ」部屋の隅で私は叫んだ。彼のベットが動いた。「茶色い髪と優しい目と、えっとえーっとそれからそれから、あー!! もっといっぱいあるんだけどなー!! うまく喋れないんだよなー おかしいなー!!! ダメだぁわたしはダメだー」彼がそのまま運ばれていく。病室のドアを出る時、彼は首を曲げて目だけで私を追った。彼の口が少し動いた。

ありがとう。

「やだーーーいやだーーー」
私は四つん這いのまま床に叫んだ。





「何をボーッとしている」

武藤健一が言った。
朝倉舞がハッと顔をあげる。

「あ・・はい」

電車が湯河原の山間を走っている。
時折青い海がその合間に見え隠れする。

「ちょっと昔のことを思い出してて」
「そうか」
「ずっと忘れてたんだけどな」

昨日会ったあの若い男。あいつに会ってから、私はどうも少しおかしいようだ。

そういえばあいつも髪が茶色かったなぁ。

目の前の男。

ビジネスという舞台で、
私にセリフと配役を与えた男。
私に初めて自信を与えた男。

でも、私には何も与えさせない男。私どころかこの世の誰にも愛情を持てない男。そしてそれが凡百のライバルが束になってもかなわない、この男の異常な強さの所以でもあるのだ。

哀しい男?
違う。
これも一つの強さだ。
この男は紛れもなく、
最強の男だ。

「健一さん?」

あなたの目指している楽園。
でも、そこはやっぱり、
私の向かう場所ではないみたい。

「私は行くよ」
「どういう意味だ?」
「Territoryを辞める」
「AREA潜入の話は?」
「やめとく」
「・・・そうか」
「銀次郎さんによろしく言っといて」
「自分で言え」

ははっ
そりゃそうだね。
銀次郎さんはなんて言うかな。
自分で決めたことだ・・・。
とかかな。
手鉋引く手も止めずに言うんだろうな。
舞、お前は太陽だからな。
健一を頼むぞ。
ごめん銀さん、私この人を守れなかったよ。
結局、守らせてもらえなかった。

「気になる奴がいてさ」
「・・・・」
勘のいい男。
これですべて分かっただろう。

麻布家具の一件。

これでTerritoryは麻布ニュータワーに食い込むことが出来る。今後の収益は莫大なものとなるだろう。その代わりに私は一つの家族を滅茶苦茶にした。それはそれでいい。弱いものは食われる。甘い者は潰される。あなたは決して間違ってはいない。でもね、今、ちょっとした夢を見てね、なんか、まるで潮が引くように自然にね、思ったの。もうそろそろ私は舞台を降りて、誰かのセリフじゃない、自分自身の言葉を話す時が来たんじゃないかって。そうだね。その自信を与えてくれたのはあなたよ。ありがとう。本当はあなたの下で自分の世界を作りたかったのよ。それができたらどんなに素敵だったろう。

『朝倉ぁ、おめえ、まじで気持ち悪いぜ?他人のセリフみてーに、物事を話すんじゃねえ。てめーの言葉で話せよ。そうじゃねーと誰もお前を見てくれねーぞ』

見てて、見ててよ。絶対目を閉じないでよっ!!

「ねえ、健一さん」
「ああ」
「聞いてるの?」
「ああ」
「泣かないでよね?」

フフッと笑って、
朝倉舞は武藤健一を見上げた。
武藤はスッと目を外した。
窓の外に顔を向けた。

ホントに?
まさかね。

『いつかあなたの言っていた楽園
私は一人で探しに行くわ
その先で私はまた誰かを愛し
子供を育てることでしょう
でもどうぞご心配なさらずに
だって私は・・・』

「ねえ」
「なんだ?」

『いつもあなたと共にいるから』

「心はずっとあなたと共にいるからね」





微かな
微かな
生きる音





photo:
アンナカレニナ/キーラ ライトレイ

2015年6月17日水曜日

東京インテリアショップ物語 番外編 「畳の目」後編


若き天才、石田春吉率いるインテリアショップCOREの一代勃興史「東京インテリアショップ物語」のサブエピソード。後に春吉の右腕となる悪魔の会計士こと武田仁成の若き苦悩

前回まで

中学生で父親を失くし、数々の不幸の反動から人の心を捨て、若くして金融の世界を極めた仁成。東大を卒業後、東京三菱銀行にキャリア入社。最初の担当である潰れかけの家具屋「麻布家具」の一人娘涼子に過去の自分を重ねた仁成はその再建計画に乗り出すが。



sub-episode2
「畳の目」
後編


3章


僕は・・・。
灰色の廊下にいた。
目の前には玄関ドア。
その向こう。
外には、
きっとあの人が立っている。
僕を呼んでいる。
後ろは振り向かない。
なぜって。
あの部屋があるからだ。
中学のころからつい最近まで、
僕を閉じ込めていた
明かりの入らない
あの畳の部屋があるからだ。

壇上で武藤健一が話している。湯島。東京家具連盟会館の3階。席は30席ほど。講演を聞く人たちは東京都下の家具屋オーナーたちだ。

武藤健一。
大柄な体躯を揺すりながら静かな口調で話している。低くよく通る声。眠そうな目。太い首に太いネクタイ。パンパンに膨れ上がったグレースーツの胸。その上の誠実な表情。会社設立からたった七年で10億の壁を突破した男。

僕は一言も聞き漏らすまいとノートに彼の言葉すべてを書き起こしている。その手が止まった。横の涼子さんも食い入るように聞いている。

「もう一度言います。傾向的に言えば、メーカーから仕入れている家具屋が、今苦しんでいるのです」

販売店がメーカーからモノを仕入れないで、何を売れというのだ?

僕は心の中で混乱した。

壇上の大男は、僕のその心の問いを見透かしたように答えた。

「販売店が自ら作るのです。今、全国の家具販売店が潰れかけている理由、それは、そもそも、仕入先である家具メーカー自体が、出口の見えないトンネルにいるからに他ならない。昨今の価値観の多様化の中で、特に小規模メーカーの彼らは、もはや何を作っていいのか、わからなくなってしまったのです。しかし、逆に言えばこれはチャンスです。そのようなメーカーと手を組み、OEMで自社オリジナルを作ってもらうのです。小さいメーカーと小さい販売店の同等な立場における二人三脚。それが・・・」

武藤健一が語気を強めてデスクをトンッと叩いた。

「ファブレスです」

なるほど、ファブレスか。ちょっと前から支店で良く聞くキーワードだ。マーケットの嗜好は日々そこに相対している販売店が一番良く知っている。そこから始まるデザイン、設計、価格設定など、組み立て製作以外の全てのパートを販売店主導で行い、製作のみをメーカーに任せる。販売店は自社商品オリジナルとして出来上がったその家具を自らが販売するのだ。

僕は手帳にペンを走らせた。

Territory、武藤健一、ファブレス。

そうか。
神宮前のTerritory、外苑前のAREA、南青山のTime & Style。この3ブランドはどことなく似ていると僕が直感した理由が分かった。このブランドたちは皆ファブレス形態だったのだ。工場を持たないメーカー。次代のメーカー形態。ここ数ヶ月で調べ尽くした記憶のノートを開く。そのカテゴリーで言えば、この形態は30年ほど前から存在していたはずだ。吉祥寺のSERVE、代官山のZERO-FIRST DESIGN、南青山の旧IDEE・・・枚挙にいとまがない。アパレルで言うとどこだ?GAPは?SPAだな。ファブレスならZARA、H&Mか。

ZARA?H&M?
そこに違和感を感じた。

場は質問のコーナーに移っていた。
一通り静まった後、僕は手を上げた。

「はい、えーとあなたは確か麻布家具の・・・あ、忘れてた。皆さんにご紹介致します。今回初参加、麻布家具の武市涼子社長です」

司会進行役の丸彦家具の小暮社長が気を使ってくれた。涼子さんが席を立って周囲にお辞儀をする。まばらな拍手が起きた。

「えー。で、横のひょろっとしたその人が・・・東京三菱銀行の武田仁成さんです・・・ね、あってます?はい。では、ご質問をどうぞ」

全員の視線が僕に集まった。武藤健一がニコニコとした笑顔を僕に向けた。

「小暮社長、ご紹介ありがとうございます。そして武藤社長、今日は有意義なご講演をありがとうございました。で、えー、質問ですが・・・。武藤社長の仰ったファブレスはアパレルの前例を見ると大量生産大量消費ベースでこそ威力を発揮する形態であると記憶しております。10億企業の規模では、セレクト商品を効果的に用いないと、ちょっと危険なのではないでしょうか。過去、U.アローズは一時そのバランスを誤って、大きく業績を落としたと聞きます。その点をお伺いさせてください」

場の空気がシンとした。
突っ込み過ぎたか?
僕は壇上の武藤健一に目を戻した。

武藤健一は眠そうな目をさらに細めて僕を凝視している。
やがて、口を開いた。

「あなた。よく勉強されていますね。当社の売上高まで調べてこの場にいらっしゃるとは。ふむ。ではご質問にお答えします・・・」

その後の懇親会。
武藤健一は僕と涼子さんの隣に来るとニコニコとしながら言った。

「麻布家具もこんな優秀な銀行マンがついていると安心ですね」

涼子さんがあわててメモと手帳を取り出した。間近で見ると余計この男の存在感を感じた。その頼もしさに僕はその後もいろいろと相談を持ちかけた。

「なるほど、確かにあなたの言う通りそれは戦略的に素晴らしい立地です。麻布家具ですか。ぜひがんばって下さい」

太くて大きくて分厚い手を指しだしてきた。僕は夢中でその右手を握った。

「ありがとうございます。ぜひ今後ともご指導ください」

翌日。
僕と涼子さんは麻布家具の入り口のガラスに求人情報のチラシを貼った。「ネットの募集もいいですけどね、お店の求人はやっぱり店舗に訪れた人にアピールしたい。それで来てくれた人は結局長続きしますしね」と武藤健一に教えられたからだ。結果はてきめんだった。早速一人の女性が面接に訪れた。大統領がその履歴書を見て唸った。朝倉舞。26歳。大手アパレルのショップ店長。社長賞3回。

「なんでこんな優秀な美人がウチに?」
「近所に住んでいてインテリアに興味があるそうです。大手より小さい会社の方がより全般を学べるって言ってましたね」

と僕は言った。涼子さんも嬉しそうだった。そんなもんかな・・・大統領は首を傾げた。

大統領の心配をよそに、朝倉舞は爆発的に家具を売り始めた。

「接客は得意なんです。お洋服も家具もコツはいっしょみたいで良かったです」

みるみる月の売上げが上がって行く。彼女は高価な家具しか売らなかった。インポートの高級家具がどんどん売れて行った。客単価が通常の4倍に膨れ上がった。粗利が10ポイントアップした。僕は彼女の接客を感嘆して見つめた。パーカーにスキニーパンツ。髪は後ろに一本縛り。素朴な格好をしていても彼女には、どこか匂い立つ気品があった。販売をするために生まれてきたような人だ。思わぬ援軍に涼子さんも張り切った。僕の作った販管費改造計画の庶務。ファブレス系高級家具店を目指すためのオリジナル家具のデザインの作成。まず彼女はTVボードの設計図面を完成させた。僕と朝倉舞は交互にその図面を回し見した。「オリジナルですね、うんかっこいい。売れますよこれは!!」朝倉舞が手を叩いて喜んだ。「もっと作って下さい。振り込みとか、雑多な庶務全般は私がやりますから、もっともっとステキなオリジナルを作って下さい!!」僕と涼子さんは目を見合わせて頷いた。行ける。この会社はもっと伸びるぞ。

そう。
すべてが夢のように順調だった。
半年が立ち、会社のV字回復を示す半期諸表を確認した。

メドが立ったな。

僕はようやく肩から力を抜いた。

12月。
支店会議から自分の席に戻る。携帯に涼子さんからの着信が4件も入っていた。電話をしようとして、ふとデスクに目を落とす。

その紙は何の前触れもなく僕のデスクの上に置かれていた。

「異動命令書?」

なんだこれは・・・。
神奈川?本牧に異動だと?

本牧と言えば同期の仁科達夫の所だ。
周りを見回した。高田先輩は外回りに出ているようだった。

心臓が嫌な音で大きな鼓動を立て始めた。

震える手。
携帯で仁科を呼び出した。

「ああ。俺も今朝聞いた。今その前後関係を調べていたところだ」

仁科の声も動揺していた。いつも以上に早口になっていた。

「こんな時期の人事なんて聞いたこともないぞ」

仁科が沈黙した。

「なんだ?仁科、お前なんか知ってるのか?」
「武田・・・落ち着け」

落ち着け?落ち着けだと?僕はキャリアだったんじゃないのか?こんな動きは過去に聞いたことがない。

「俺はこれは上層部の派閥争いだと思う」

東大と慶應。
確かにそれはもともと昔からあるウチの暗部の歴史だ。いや、今ではマスコミも一般人も誰もが知っている。しかしそれは伝説としてだ。信憑性としては都市伝説並みの話だった。

まさか・・。

「仁科・・お前確か・・」
「ああ慶應だ。今回の人事な、俺とお前の入れ替えなんだ」


その5分後。
僕は営業自転車で外苑西通りを走っていた。仁科達夫の声を頭の中で反芻する。

いいか、仁成、よく聞けよ。思うにウチの会社はお前がキャリアにふさわしいかどうかテストしていたんだと思う。お前、社員研修の時言ってたろ、中学の時の話。そう、お前の親父の貸し剥がしの話だ。その人格影響が今も残ってるか試されたんだよ。麻布の家具屋がどうとか言っていたな。お前その初担当に入れこんでただろ?たぶん、いや・・・絶対それだ。お前はキャリア失格と見なされたんだよ。俺?知らねーよ。俺にそんな手引きができるわけないだろう?それはお門違いだぜ?俺もさっき知ったんだ。自分でよく考えろ。筋で言えば大抵こういうのは直属の先輩がガイド役だぜ?

あとな・・・さっきから調べていてもう一つ気になることがある。

青山墓地の狭い道で車にぶつかりそうになった。派手なクラクションを鳴らされた。雨が降ってきた。向かってくる雨粒に何度も目をこすった。涼子さん・・・くそ。狂ったようなスピードで自転車を走らせた。

お前、武藤健一という男を知っているか?そいつは島津財閥の血筋だ。ウチの会社と島津の関係は知ってるな?そうだ。島津はうちの大株主だ。最近ウチの上層部と武藤健一が一緒にいる所をこっちの支店長が見ている。ああ。丸の内の本社でだ。どういう意味だ、だと?馬鹿。お前が入れこんでるその家具屋の立地はウチの会社主導の大規模再開発区域のど真ん中じゃないか。管轄はウチの不動産部門だが、基本的に裏では表参道支店が主体なんだろ?え?・・・知らない?一週間前の決定事項だぞ。俺はこの話を支店長から聞いた。なぜお前が知らないんだ。本牧の俺が知っていて地域担当のお前がなぜ知らない?ウチの上層部と武藤健一は何を狙っているんだ?

外苑西の交差点を渡り、ホブソンの脇の小道に入る。森ビルの虎ノ門ヒルズの対抗措置?麻布ニュータワー計画?知らない。聞いていない。

武藤健一は何を狙っているだと?そんなのは明白だ。僕は漏れ出しそうな嗚咽をようやく飲み込んだ。それでもウッウッと声が漏れる。分かってる。再開発予定地域のど真ん中にある個人ビルの買い取り。後に転売する目的の間接的な地上げだ。当然、上場企業はそんな危ない橋は渡れない。奴はワンオーナーの中小企業の立場を利用してこの大事業、この途方もなく甘い果実に吸い付く気だ。島津系だと?バックグラウンドは?ウチの誰だ?誰とつながってる?絵を描いているのは誰だ?慶應の誰だ?くそっ。

麻布家具のドアを開いた。

涼子さんと大統領が奥のテーブルに座っていた。

涼子さんがずぶぬれの僕をちらりと見て、また下を向いた。

テーブルの上。一括返済書。財産・抵当差し押え書。そして辞表。

辞表?
朝倉舞か?
なぜだ?

「たった一日で何から何まで取られちゃったよ」

大統領が小さくか細い声で言った。


一括返済の根拠。
一時間前の高田先輩からの電話。いやあ、ウチの仁成がお世話になっているようだけど、こう返済が遅れちゃったら僕もどうしようもないというか・・ねえ。涼子さんが慌てて調べた経理帳簿。4ヶ月振込みの形跡がなかった。ドクンと僕の心臓が跳ね上がった。『振り込みとか庶務全般は私がやりますから、もっともっとステキなオリジナルを作って下さい!!』なぜだ?なぜ朝倉舞は4ヶ月も支払いを怠った?そしてその事実がなぜ担当の僕の耳に入らなかった? …いずれにせよ、このビルは無条件に競売にかけられる。出来レースの競売だ。このビルを落とすのはもちろん武藤健一。奴だ。この半年、いくら業績が良かったとはいえ、麻布家具に一括返済の目処などあるはずがない。僕だ。僕が他の銀行をウチにまとめ直した。僕がこの荒事を可能にしたようなものだ。僕はデスクの上の書類を掴んだ。せめて、せめて、このビルの販売額で充当を・・・。あせって書類をめくる。これだっ。書類の一枚を抜き取る。

「え?」

整然と並ぶ数字に愕然とした。手からその紙がひらりと落ちた。なんだこの評価額は。僕の認識している査定額の70%にも満たないじゃないか。査定は誰が?ウチのグループ?僕はすべての書類に目を通した。気持ちが悪いほどに合法的な手段だった。これじゃ裁判をしようにも、いや・・・しかし。「裁判です。それしか方法が・・・」大統領が首を振った。「ウチにはそんな金はないよ」「そんな金、家具を売って少しづつでも・・・」大統領がまた首を振った。「どうやって売る?この家具を誰がどうやって売るんだい?」あ・・・。高級家具に一変した店内。それを唯一売りこなせる、頼りの朝倉舞はもういない。そ、そうだ、そうだよ、彼女は?「舞ちゃんはどうして辞めたんです?振込忘れてたから?今からでももう一度説得して・・・いや、彼女に頼らなくても、まだ笠間建設の売上げもあるし、なんとか・・・」最近オリジナルが売れて来て圧縮されたとはいえ、麻布家具の5割の売上げシェア、笠間建設の売り上げがある。笠間建設がいればここはそうそう潰れないんだ。僕の言葉に涼子さんがテーブルに突っ伏して子供のように泣き始めた。僕の体がギュウッと縮んだ。なんだ?僕はなにかおかしなことを言ったか?大統領がポツリポツリ話し始めた。突然の電話。笠間建設の息子からの電話。御社とのお付き合いを終わらせたいと一方的にまくしたてた。詰め寄る大統領。とうとう息子の本音が飛び出した。いやあ、お宅の朝倉舞ちゃんを気に入っちゃってねぇ。あ、僕の嫁にどうかってね。聞いたら悪い感じじゃなさそうだったんだよ。でね、彼女今度、お宅辞めてテリトリーに再就職するっていうじゃない?あそこはクオリティ高いし、社長の武藤健一さんも親父を説得してくれちゃってさ。親父ももうその気なわけ。まあそういうわけだから」

再就職だと?
テリトリーに?
再・・・。

『なるほど、確かにあなたの言う通りそれは戦略的に素晴らしい立地です。ぜひがんばって下さい』

「あああ・・・」

すべてがつながった。
全部の線が結束する場所。
複数の伏線が示す場所。

低くよく通る声。
眠そうな目。
太い首に太いネクタイ。
パンパンに膨れ上がったグレースーツの胸。
その上の誠実な表情。

「武藤健一・・・」

僕はあの時、熱に浮かされたように僕の戦略すべてを話してしまった。武藤健一は再開発計画は知っていても、麻布家具に関しても、麻布家具の自社ビルのことも、何も知らなかったはずだ。あの時、あの夜、奴の脳で、その二つがつながった。そして翌日、早速、朝倉舞をここに送り込んできた。

その媒介を演じたのは、
またもや…。
僕だった。

差し出した手。
太くて大きくて分厚いあの手。僕はあの時、あの巨大な手に、邪悪な蜘蛛の巣に、見事に捕まったのだ。

なんという人間だ。
なんという悪辣だ。

僕は崩壊寸前の心で涼子さんを見上げた。あの優しい目で救って欲しかった。しかし、その時僕は見た。

僕を見下ろす彼女の目の中の憎悪を。

形容しがたい程の恐ろしい光りを。

「うわあ・・・」

僕は床に尻餅をついた。
彼女の憎悪が追ってきた。
目を離してくれなかった。
そして、

「うああああうううああー」

ついに口の聞けない涼子さんが口をきいた。

「ううああああああっっっっっあっあー」

僕は尻餅をついたまま頭をかばうようにして後退った。そして、やにわに立ち上がり、その場を逃げ出した。

そうして、僕はすべてを失った。


4章


無精髭と風呂に入っていない体。
ベトついた右手には刃渡り10cmのナイフ。

あの日から3日が経った。

会社を休み、引きこもるマンションの自室で、見知らぬ番号から着信を受けた。通話ボタンを押し、黙っていると低い声が言った。

「武藤だ。聞いているか、武田仁成?一度しか言わないからよく聞け。お前はウチに来い。いいか?お前は見所がある。俺が仕込んでやる。明日のam7:00にウチの店に来い。いいな」

通話を切った。意味が分からなかった。なぜ僕がお前の所に行くんだ?殺しに行くならわかるけどな。殺す?俺が武藤を?まあそれもいいな。俺はこういうものを持ってるしな。あいつの顔にこいつを指してやったらどんなに気持ちがいいだろうな。そうぶつぶつ言いながら、一睡もせずに、僕はこうして朝を待っている。やがて日がのぼり、僕は腰を上げた。外に出た。雨が降っていた。田園都市線は今日も人で溢れていた。人々は僕を避けて通った。僕は表参道をふらふらと歩いた。そして目的地、テリトリーの直営店に到着した。

am6:40。

向こうの道から大男が歩いてきた。
一人だった。


僕は灰色の廊下にいた。
玄関のドアにはいつの間にか
外からカギがかかっていた。
その向こう。
青空の下で僕を待っていたはずの
あの人はもういない。
僕は後ろを振り向いた。
例の扉があった。
中学の時からずっとこもっていた、
明かりのない畳の部屋だ。
僕は長い間そこで、
畳の目を数えて過ごした。
もうあそこには戻りたくなかった。
でも。
やっぱり。
僕の居場所は最初から・・・。
ここだったのかもしれないな。







遠く道の向こうから
大男が姿を現した。
僕はかばんの中のアレを握った。
テリトリー前の植え込みに隠れて
その時を待った。






ギギギギィィ。
無明の部屋の扉が
独りでに開いた。
その隙間から、
部屋の畳が見えた。
横たわる親父の足が見えた。
窓の外のアジサイの碧が…
見えた。
僕はゆっくりとその部屋に
戻ろうとした。




かばんからアレを取り出した。
奴を懲らしめる為のあれだ。



扉のノブに手をかけた。
とうさん・・・・。
僕はだめだったよ。
けっこうがんばったんだけどな。




その時。
後ろから襟首を掴まれた。
僕は、ものすごい強い力で後ろに投げ飛ばされた。右手のナイフを握る手を蹴飛ばされた。

「てめえっっ!!」

引き起こされた。頭突きをされた。プキッと僕の鼻が鳴った。そのまま裏道に引きずり込まれた。

くそっ僕は奴を!
武藤を・・・!

もがいた。
離せっ
くそっ!

そいつが僕のナイフを拾った。そしてそれを遠くの植え込みに投げた。小さい男だった。小さいが全身から電気のようなオーラを放っている。そいつが僕に近づいてくる。やにわに僕の両耳を掴んだ。

ゴンッ。

額に額を打ち付けられた。そして言った。

「武田仁成ぇ、遅くなってワリイな」

鼻と鼻がふれあう距離でそいつが言った。歯を食いしばったそいつの口から獣じみた呼気が漏れた。

「見えるか?仁成?俺が見えるか?」

デカい口がニイイイイっと笑いの形になった。

「その穴ぐらに戻っちゃいけねー。もう二度とそこには戻るな」
「石田・・・・はるきち?」

春吉がようやく僕の両耳を離した。

「俺とお前は同類だ。その穴ぐらは俺もよーく知ってる。武田仁成、お前は俺と来い!! わかったか?わかったな!?」

その時、僕の中で何かが弾けた。畳の部屋の扉がバンッと音を立てて閉まった。親父の足が、畳が、アジサイがかき消えた。僕は、いや・・僕の無意識が勝手に・・。

頷いた。

そして、その意味に意識が後から追いついた。再び僕は大きく頷いた。

「はるきちっ」

僕は絶叫を上げた。いやだ。僕はもうあの部屋に戻りたくない。

「僕を・・いや俺を・・・」

ぜったい嫌なんだ。畳みの目を数えて過ごすのは。もう二度とごめんだ。

「頼む」

俺をあの玄関の外へ連れてってくれ。

「俺を・・・頼む」

春吉が太い呼気を吐いた。
「ハッ」
そして俺の目を真正面から見て言った。

「まかしとけ!!」


あきらめていた玄関ドアが、
開いた。
いや、無理矢理ぶち破られた。
ドアの向こうには、
青空はなかった。
冷えびえとした荒涼が、
ただ永遠と、
広がっているだけだった。
しかしそこには・・・。
春吉というチビが立っていた。


また襟首を掴まれた。
再び表通りに引きずり出された。
春吉に肩を組まれた。
春吉が道の向こうの大男にデカい声をかけた。

「武藤!!」

武藤健一の足がピタリと止まった。

「仁成は俺がもらったぜ!!」

俺の肩に乗る春吉の太い腕の重み。

「俺はお前のやり方は気に入らねえ」

なんて心地のいい重みなんだろう。

「首を洗って待っていやがれっ」




エピローグ

トンボが飛んでいる。
腹が赤い。
秋茜か。
こんな東京のど真ん中でもトンボが飛ぶんだな。
しかし俺の胸にそれ以上の感慨はない。

「アキラさん辞めたんですか?」
「ああ」
「そうですか」
「お前の計算に支障が出るか?」
「いえ。別に」

向こうから女が歩いてきた。

「お待たせしました石田社長」

横の俺を見てその女がフッと笑った。

「あら、久しぶり。何か雰囲気変わったわね」

朝倉舞。

しかし俺の心はもう動かない。
俺の心は冷えびえとした荒涼にある。
あの頃の俺はもういない。
俺の昏い目に朝倉舞が少したじろいだように見えた。

「で?どうする?うちに来るか?」
春吉が言った。
「お受けします」
そう答えて、
朝倉舞は艶然と笑った。





2015年6月16日火曜日

東京インテリアショップ物語 番外編「畳の目」中編


若き天才、石田春吉率いるインテリアショップCOREの一代勃興史「東京インテリアショップ物語」のサブエピソード2。後に春吉の右腕となる悪魔の会計士こと武田仁成の若き苦悩を描く。

前回まで

中学生で父親を失くし、数々の不幸の反動から人の心を捨て、若くして金融の世界を極めた仁成。東大を卒業後、東京三菱銀行にキャリア入社したが、最初の担当が潰れかけの家具屋「麻布家具」であった。そこの一人娘涼子に過去の自分を重ねた仁成は、その再建計画に乗り出すが・・・。



sub-episode2
「畳の目」
中編

2章

[4代目になりたい]

その筆記に、大統領は口をポカンと開けた。

「しかし涼子。お前口がきけないんじゃ接客もできないし、だから・・・わしはとうの昔にその線はあきらめて・・・」

口がきけないなら、だれか他の人間を雇えばいいだけだ。隙間なく圧縮された販管費。でも僕がいじれば、20万くらいの人件費は捻出できるはずだ。

「そうか・・・そうか。そうだな、うん」

大統領は両手で顔を被った。
やがて大きな声で泣き出した。

しかし・・・。
泣くにはまだ早い。
まずは止血だ。

既存の人件費を徹底的に絞る。
つまりそれは、あなたたちの食卓に毎日メザシしか並ばないということだ。そして、涼子さんは大学を辞めなければならない。この会社の毎月の赤字の平均額が彼女の学費とほぼイコールだからだ。

次に銀行返済。
各銀4行の債務合計金額はこの3階建ての自社ビルの評価金額を優に越している。自社ビルも根抵当に近い状態だ。円高株安デフレ真っ最中のこの時期、ちょっとでも支払いが滞れば、どこの銀行も一括返済を迫ってくるだろう。そのリスクを回避しなければならない。まずはウチ一本に銀行を絞る。借り換えで金利を優位に再設定する。これで毎月の返済がかなりの額、軽減されるだろう。信用ならないメガバンク。しかし僕がいればなんとかなる。問題は僕の異動だが、通常あと3年は人事はないだろうから、そこは安心していいだろう。

そして、肝心の売上高だ。
麻布家具は、その売上高の8割以上を地元の中堅ホームビルダーである「笠間建設」の発注に頼っていた。最近息子が社長を継いだが、父親同士が仲がいいので、この数字は安定的に今後も変わらないだろう。問題はそれ以外だ。そもそも店舗売上げをなんとかしないと、販管費を絞ってもまったく意味がない。麻布家具の事業はPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)で言う所の「負け犬」期にあたる。負け犬状態から「問題児」期に再度移行(スパイラルアップ)する為には抜本的な新規事業開発をしなければならない。しかし考え方としては簡単だ。市場占有率と市場成長率の2軸において「問題児」(=New Methodを持ち、未成熟ながらも未来を予見させる「金のなる木」の卵)期に該当する同業他社を調べて研究し、徹底的に自社へと当てはめ直せばいいのだ。

ターゲット。
僕は、マーケットのターゲットを港区、渋谷区、新宿区、目黒区、品川区に絞った。他は捨てる。必要ない。銀行マンという仕事柄、僕らは東京の富裕層がどこにいるかを知っている。いや、区というより外苑西通りだ。品川、白金、広尾、麻布、六本木、渋谷、青山、神宮前、代々木、新宿。東京の金持ちの大半はこの道の近辺に生息しているのだ。

金持ち。
そう。このデフレのまっただ中では、セオリー通りに言って、100均かベンツしか売れない。中途半端な安物も中途半端に高いものもまったく動かない。それはウチの顧客の傾向分布図を見ても明らかだった。ウチの表参道支店が扱う中小企業は土地柄アパレルが多いが、今かろうじて動いているのは国内外のファストと表参道沿いの高級ブランドショップだけなのだ。

以上を勘案して、この麻布家具は・・・。

「大統領。この店の一番の財産はなんだと思いますか?」

大統領はしばらく考え込んで言った。

「わしの経営センスだろうか?」

ぐすんぐすん言いながら大統領がそうぶっ放した。果てしなく笑えない。涼子さんさえ豆鉄砲を喰らったような顔をしている。

「明らかに違います」

よっぽど冷たい顔をしてしまったのだろう。大統領がおどおど顔になった。

「ここの立地です」

地政学。
地理的に言って、西麻布は外苑西通りのちょうど中間地点にあたる。青山や表参道と違って車も停めやすい。そして麻布家具は、うまいことに外苑西通りからほんの少し入った行き止まりの太い道のドン突きにあった。路上パーキングも周囲に沢山ある。都内一等地における高級家具屋の集客に、駅の必要性など無意味だ。政治家たちがタクシーで群がる高級料亭と同じ。大動脈からほんのちょっと外れた車の止め易い場所。これが最も大事なのだ。

「立地?」
「まあ、まかせておいてください」

結局大統領はビルの売却をストップしてくれた。よし。あとは売上高を上げるだけだ。横にいる涼子さん、いや、株式会社麻布家具の4代目社長といっしょに前を向くだけだ。僕は隣を見た。心細げに立つ両足、しかし、しっかりとした決意の表情。僕はきっと涼子さんに惹かれ始めているんだな。他人事のようにボンヤリと思う。地味な子なんだけどな。なんでかな。笑った時の目がかわいいからかな。こういう気持ちになったのは初めてだった。中学のあの日以来、僕は金の勉強以外のすべてを捨てて来た。恋愛感情?金の道の蛇となったこの僕が?まあいいや。どっちにしろこの先の進め方なんてわからないんだ。

このままでいい。
いや、このままがいい。

彼女は僕がこもる無明の部屋のドアを開けてくれた。あの日以来、僕の体にビッシリと貼り付いていた闇が、最近日一日と、剥がれ落ちて行くのを感じる。

それだけで、僕は彼女に感謝をしている。
それだけで充分なんだ。
それ以上を望むなんて・・・。
そんなのなんか・・・。
怖いじゃないか。

それから、一ヶ月の時が過ぎた。
僕は文字通りほぼ寝ずに銀行業務と麻布家具再建計画を同時進行させて行った。少しづつだが家具業界のアウトラインが分かってきた。しかし、僕らには時間がない。つなぎ融資を引き出すために、早急に今期中の諸表を良くしなければならないのだ。だから、今、僕らに最も必要な最適化された知識だけを抽出する必要があった。

そこで僕は分類カテゴリーを用意して情報収集に当たった。経営立て直しの基本のキ。成功例を探せ!! だ。

外苑西通り近辺の家具屋であること。
路面店であること。
高級家具であること。
売上高10億以上であること。
BtoCに強いこと。
2000年前後以降に台頭してきた「問題児」であること。
バックに大会社のパトロンやメーカーがついていないこと。
原則的にワンオーナーであること。

そのソートに引っかかったのが、
南青山の「Time & Style」
外苑前の「AREA」
神宮前の「Territory」
この3ブランドだった。

そしてもう一つ。
神奈川湘南地方で破竹の勢いで伸びている家具屋があった。逗子の「CORE」(コア)という新進気鋭のブランドだ。内部情報によるとたった2年で5億の企業に育っている。神奈川の同期、仁科達夫が電話口で興奮して言った。「石田春吉ってのが社長でな、ありゃ、とにかくすごい。規格外だ。やつは化け物だぜ」しかし、神奈川と東京は商売が根底から違う。僕が参考にするのは前者の3ブランドでいいはずだった。

僕はこの3ブランドを徹底的に分析・研究をした。商品デザイン、価格帯、販売形態、販売力、広告方法。おぼろげながら感じた。この3ブランドはどこか似ている。そして中でも気になるのが、5年前に逗子(COREと同郷だった)から神宮前に進出してきたTerritory(テリトリー)だ。売上高こそまだ10億ちょいだが、何かしらマグマのような内部エネルギーを感じた。社長の名は武藤健一。慶應卒の秀才だという。

「武藤健一?ああ、Territoryの社長ね。あいつはうまいことやってるよね」

表参道の地下バー「セレンディピティ」。

禁酒法時代を彷彿とさせる見事な空間演出が人気のバーだ。このバーはインテリア系の人間が夜ごと集まるのでも有名だった。マスターのタカユキがシェイカーを振っている。その美しい動作に目を奪われながらも、僕は目の前の人物に意識を戻した。株式会社コラボスタイル代表、北原良一。SCを中心に大量の店舗展開をしている業界の大人物だ。北原氏は自慢のハットを被り直しながら言った。「まあ、僕は野田君が友達筋だからね、あ、AREAの社長ね、武藤君は彼のライバルでしょ?それくらいしか僕は知らないな。宇佐見さんに聞いてみれば?」カウンターでスーツを綺麗に着こなしている男を指差した。日本ベットの宇佐見社長だ。「武藤さん?どうしてですか?ああ参考に・・・あなたは?麻布家具?・・・ええ。知っていますよ。昔はよくお付き合いさせて頂いていました。なるほど」と、その時、その隣の連れが身を乗り出してきた。「武藤さん?テリトリーの?彼なら今度、東家連(東京家具連盟)で講演してもらいますよ。というか麻布家具さんは会員じゃなかったかなあ」と言って名刺をくれた。丸彦家具の小暮社長、三軒茶屋か。世話好きそうないい人だな。その小暮さんに講演会のチラシをもらった。

[ 記念講演会]

「今、消えゆく家具屋、その傾向と対策」

講師
武藤健一氏
株式会社Terrytory 代表


こ、これは・・・。
まさに今僕らが必要としている内容の講演じゃないか。

「あの、小暮社長、これ僕たちがおじゃましてもいいでしょうか」
「僕たち?」
「はい。私と、涼・・あ、いえ、社長で」
「いいですよ。ぜひ来て下さいよ」

その時、店のドアが乱暴にバタンと開いた。

「おー本当だ。お歴々が勢揃いだな、こりゃすげーや」

大きな声でズカズカと入ってくる若い男がいた。
2人連れだ。
後から来る顔は見覚えがあるぞ。
フランスベッドの池田社長だ。
しかしこの大声の若い男。
暗い店内で、僕は目を細めた。
ピシッピシッ。
小柄な体躯から電流みたいな何かが迸っていた。もちろん錯覚なのだが、こんな種類のオーラは初めて見る。大抵、大人物のオーラとは、その人物を包むように大きく膨張して沸き上がる何かで、大抵は包み込むその主人を巨大に見せるものだ。
雷属性か?こいつは。
異常な熱気も感じた。
いずれにしても常人ではないのは分かる。
「どうも」
宇佐見社長が会釈を池田社長に投げた。
「いや、なんか面白い若いもん拾っちゃってな、ここの話をしたら連れてけってうるせーからよー、つれて来たんだよぅ」
池田社長が人好きのするいい笑顔で笑いながら、宇佐見社長の隣に座った。
「家具なんて先はねぇってのに、なんかこいつはやる気なんだよね、わかる?」
僕は宙ぶらりんのままその場に立ち尽くした。
その前をその若い男が通り過ぎる。
通り過ぎながら僕をジロリと見た。
ん?僕を見る目が止まる。
「お前・・・」
男が呟いた。
僕との距離50cm。
その男がさらに顔を近づけてきた。
男は僕の目を直視した。
「その目・・お前もか?」
「は?」
僕が眉を寄せると、
その男がハハッと笑った。
鮮烈なほど魅力的な笑顔だった。
「いずれな・・・お前とは近いうちにまた出会うだろう」
男はそう言うと、僕の前を離れ、狭い店内の真ん中に立ち…。

大声をあげた。

「株式会社CORE代表、石田春吉。弱卒者ではございますが、来年からこの青山でお世話になります。ひとつお見知りおきを!!」

両手を両腿の外側にピシッとつけた。
90度に腰を曲げてお辞儀をし、
そして、すぐに頭を上げると、
顔全体でニカッと笑った。

「失礼な奴だな」
僕の横で小暮社長がボソッと言った。

「こいつが石田春吉・・・」

同期の仁科達夫のセリフが頭に蘇った。『ありゃ、とにかくすごい。規格外だ。やつは化け物だぜ』

僕は戦慄した。
本当だ。
僕の眼を持ってしても中身が見えない。
なるほど。
確かに化け物かもしれない。

そうか。ついにCOREも青山進出か。暗い店内で、僕は人知れず、何かが起きそうな予感に体をブルッと震わせた。

☞ つづく


2015年6月14日日曜日

東京インテリアショップ物語 番外編 「畳の目」前編

若き天才、石田春吉率いるインテリアショップCOREの一代勃興史「東京インテリアショップ物語」そのサブエピソード2。 (エピソード1「渋谷のタヌキと魔法の夜」)

後に春吉の右腕となる悪魔の会計士こと武田仁成の若き苦悩を描く。




sub-episode2
「畳の目」

1章

親父が死んだのは僕が中学生の時だ。ひどく蒸し暑い霧雨の朝だった。バスケの全中地区予選を控えて朝練に出かけようとした僕は、親父の部屋の開け放しのドアの向こうに、何かひどく恐ろしい気配を感じた。「とうさん?」親父は仰向けになって目を開けたまま死んでいた。開け放された窓の向こう。雨に濡れた庭のあじさいがやけに碧々とした色を覗かせていた。

「お父さんは銀行に殺されたのよ」母は妹を抱きながら、そう言って泣き崩れた。家業の家具屋が傾いているのは知っていた。貸し剥がし? 良くある話すぎて実感がわかない。「心不全だろ?」僕は母親に言い放った。不幸を誰かのせいにすると、この先、生きにくくなる。本能的にそう思ったからだ。資金繰りで行き詰まって心労を重ねたにせよ、直接的死因は銀行にはない。

仁成(じんせい)にウチを継いでもらいてえなぁ。いつも親父はそう言っていた。ごめんな。親父。さすがに無理だよ。親が愛していたものを子供が愛さないわけがない。でも、まだ中学生の僕にはこの借金を背負えない。当たり前の話だ。でも、葬式の間中、目の前の畳を見ながら、その網目を数えながら、僕はずっと謝っていたんだ。

継げなくてごめんなぁ。
親父、ごめんなぁってさ。

その後の苦労は推して知るべしだ。無数の不幸を嘆きながら僕は育った。バスケは辞めた。代わりに勉強を始めた。何故か?僕にとってそれが一番金のかからない暇つぶしだったからだ。朝から晩までずっと机に向かった。中学の卒業式さえ忘れて没頭した。笑えない話だ。そして、思春期を終え、高校も半ばになり、ある日、僕はようやく自分を襲っている不幸の根っこに気づいた。

金だ。
僕を翻弄する苦労の底にはいつも金という魔物が横たわっていた。
金、金、金、金。
金って一体何だ?

そう思うと居ても経ってもいられなかった。僕は金融学を我流で学び始めた。国立図書館に毎日通った。めくるページに呪いの言葉を吐きかけながら、喰らうように金にまつわるあらゆる事柄を学んで行った。

僕は、金の道を行く蛇となった。

東大を卒業後、母親の猛烈な反対を押し切って、僕は東京三菱銀行に入社した。キャリアコースに進んだ僕は、未来を嘱望された若手幹部候補生としてもてはやされた。将来は頭取も夢じゃないと。支店の窓口の女から、保険屋など出入り業者の女、果ては付き添いで相伴する銀座のクラブの女まで、たくさんの女が俺に寄ってきた。相手にするわけがなかった。そいつらは全員果てしなく気持ちが悪かった。奴らの目の奥にいやらしい打算と貪欲な欲望が渦巻いているのが見えたからだ。

そう。
結局、金は人の行動原理の結果で増減する。金を極めるということと、人を極めるというのは、詰まる所ほぼ同義なのだ。知らず知らずに僕は人の心の奥を見極める達人になっていた。

初めて担当した外商客は西麻布の「麻布家具」という家具屋だった。現社長が3代目という名門家具屋だ。僕の教育係である高田先輩から引き継いだ案件だった。家具屋か・・・。親父の顔が一瞬頭をよぎった。しかし、いい機会だと思った。栄光へと続く僕のデビュー戦だ。過去のトラウマを払拭するいいチャンスではないか。僕は顔を上から下にツルリと撫で、仏の表情を演出すると、麻布家具の門をくぐった。

「君が新しい担当かい?」

出てきた社長は親父と同世代のみすぼらしい男だった。

「初めまして。武市社長。表参道支店の武田仁成と申します」

「どうもこんにちは。武市善吉です。まあ、私のことは大統領とでも呼んでください」

は?
言葉に詰まった。
大統領だと?
正気かこいつ?

しかしその笑顔には一つの嫌味もなかった。どうしてだろう。その笑顔に微かに好感を持つ自分がいた。悪い人間じゃなさそうだ。

ふと気づくとその大統領とやらの後ろに女が立っていた。
前髪が目に半分かかっている。
厚ぼったいワンピースを着ていた。
地味な女だった。
その女は僕にぺこりとおじぎをすると、ぷいっと外に出て行った。

「ああ、あれはワシの娘でな。この時間だ、大学に行ったんだよ。頭いいんだぞ。お茶の水だ。あ、そうだ。あいつは生まれたときから声を出せなくてな、無礼をしたな」

声がでない・・のか。
なるほど。
ここにも不幸がまた一つというわけだ。

支店に戻って、麻布家具の貸借対照表をめくった。
雀の涙ほどの売上高。
慎ましい販管費があの家具屋を支えていた。
目立った負債はない。
しかし・・・。
ウチの前回の融資が焦げ付く寸前じゃないか。
まずいな。
キャッシュフローに目を通す。
ため息をついてそれを閉じた。
だめだ…じり貧だ。
このままだと持って余命は一年。
余命・・・。
敬愛する高槻教授の言葉を思い出した。
「銀行家は医者と同じだ。貸借から病理を読み取れ。誤診は許されない」

病気に例えるならここの死因はなんだ?
目立った負債は見あたらないのだ。
癌ではない。
その他、摘出すべき病理も見当たらない。

老衰・・・か。

いくら僕が金融のプロでも、原資のない場所の旗は振れない。最低限の販管費。ここをイジれないということは、どういうことか。粗利を、いや、売上高を上げるしかないということだ。俺に店舗運営はできない。お手上げだ。いや・・しかし・・まてよ。手元のコーヒーを手探りで引き寄せた。「精が出るな、お先」高田先輩が僕の肩を叩いて帰って行った。

長い夜が始まった。

翌朝。
「社長、あ…いえ、大統領、お話があります。今日の午後少しお時間をいただけないでしょうか?」

向かいで窓口の女の子がクスクスと笑っていた。
ちっ。

麻布家具に着くと、大統領が家具を拭いていた。窓ごしに僕はそれを黙って見守った。なんて丁寧に手入れをするのだろう。大統領はコシコシと家具の細かい溝を磨いている。よくよく見ればボロボロの店内とは裏腹に家具はピカピカじゃないか。この人はずっとこうして家具を磨いてきたのだろう。いや、きっとこの人だけじゃない。この一族は三代ずっとこうして家具を愛してきたのだ。親父の店を思い出した。仁成、家具はな、手入れさえしていれば、新品の時より100年後の方が美しくなるんだ。そう言えば親父もそんなこと言ってたな。

「おお、武田君待ってたよ」

大統領が先に僕に気づいた。

僕は徹夜で作った事業再建案をカバンから出そうとした。借り換えをベースにウチからつなぎ融資を引き出すための虎の巻だ。我ながらよくできたプランだった。うまくすればこの会社を、あと2年は延命できる。そうさ、頭脳なら誰にも負けないんだ、僕は。カバンに手を入れて書類とペンケースを取り出そうとした。

「今年いっぱいで閉めようと思うんだ。会社を畳んで引退しようと思ってるんだよ」

え?

不意の言葉にペンケースからシャーペンやら消しゴムが床に落ちた。慌ててかがんだ。拾いながら大統領の顔を見る。窓からの逆光で表情が見えなかった。

今なら人様に迷惑をかけないで会社を畳めるだろ、ましてやウチはこのビルを持っているから、売ればおたくの支払いも…。

明るく振舞ってはいるが、僕には大統領の悲しい気持ちや悔しい気持ちがよく分かった。人に迷惑をかけたくない。この人はそれだけを考えて、この決断をしたのだろう。いや、しかし…。普通だろ?こんなのは。会社が寿命を迎える。その立会いに一々動揺してたら銀行マンなんて務まるわけがない。そう思う自分もいた。

僕はペンケースを拾って立ち上がると、無表情に言った。

「そうでしたか。かしこまりました」
ー  本当にいいのかよ?

「では自社ビルの売却による一括返済ということで」
ー  あんなに丁寧に家具を手入れしてたじゃないか。

上司と相談の上、お話を進めさせていただきます」

麻布家具を出てタリーズに転がり込んだ。アイスコーヒーをボンヤリと飲んでいると前の席に高田先輩が現れた。

「先輩…」
「聞いたよ。大統領の話」
「そうらしいです」
「担当した途端に潰れたんじゃお前も災難だな」

高田さんが一息にアイスコーヒーを飲み干すのを見ながら、僕のキャリアか、なるほど、そういう考え方もあるのかとボンヤリと思った。

「ここで畳むか。しかしそれもいいのかもしれないな。まだ傷が浅いウチに決断するのも社長の仕事だよ。しかし涼ちゃんはまだ大学生だろ?どうす…」

その時後ろでガタッと椅子が鳴る音がして振り向いた。大統領の地味娘が立っていた。

高田先輩に進められて目の前に座り直した大統領の娘の涼子は真っ青な顔をしていた。辛いだろうけどいい判断だと思うよ…。と言って高田先輩が彼女をとりなしている。僕はジッと彼女を見つめた。どこかで見たことのある目だ。

ああ、そうか。

この子はお金を心配しているのではない。この子は…。

口のきけない涼子は僕らの目の前にノートを出すと、ペンを走らせた。

[会社を救う方法はないですか?]

高田先輩が眉根を寄せた。ねぇ涼子ちゃんいい判断だと思うって。これ以上は…というか、あの店は正直時代遅れというか、あの社長じゃ、というか…。なあ、と困って僕に同意を求めた。

涼子が頭を振った。激しく振った。目には大粒の涙が溢れていた。そう、この子は…。

僕はカバンの中の書類を握った。

[私がやります]

ということだよなぁ。
やっぱりなぁ。

見覚えあるはずだ。あの時の僕と同じ目なのだから。

僕は分かる、というか、僕だから分かる。

親が愛していたものを子供が愛さないわけがないんだ。

そしてふと思った。

中学生の僕にはできなかったことがこの子にはできるかもしれないのか?

目の前の風景がボヤけて、
畳の網目を数えて涙を落とした、

あの日。

継げなくてごめんなぁ。
親父ごめんなぁ。

そうつぶやいた小さい頃を思い出しながら、カバンの中で再建計画の書類を握る今の僕。

手が汗ばんでいる。

この時のためか?

僕が無数の不幸と戦ってきたのは、この時のためなんじゃないのか?

いや、待て。安っぽいセンチメンタルに流されるな。俺はこんなミジンコみたいな案件に引っかかってる場合じゃないんだ。東大まで出たんだぞ?僕の前には輝かしい道が…。僕はこのメガバンクの頭取に…なって…逆に日銀をアゴで使って、それでそれで…ああ、それでどうするんだっけ?

いくら輝かしい未来を想像しても、その未来は薄ボンヤリしていて、その代わりに、なぜだ? 昔の僕の家、僕が唯一幸せだった頃に見た実家のボロい家具屋しか頭に画像を結ばないんだ。

僕は大きく深呼吸した。
そして涼子さんの目を真正面から見据えて言った。

「涼子さん、あなた、御茶ノ水でしたっけ?家具屋をやったら今のキャリア全部飛びますよ?そういう覚悟はあるんですか?」

うつむいていた涼子がハッと上を向いた。そして慌ててうなづいた。うなづきながら筆記した。

[構いません]

「それは本心でしょうか?」

涼子が一瞬仁成と自分の間の空間を見つめた。そして、キッパリした顔で、ゆっくりと頭を縦に振った。

その瞬間、仁成はカバンに入れていた手を出した。バサッと書類をテーブルに投げ出した。もうどうにでもなれだ。

「再建計画です。よろしければ僕がご一緒にお手伝いします。いや…させてください」

な、なに言ってんだ。高田先輩が横でオロオロしていた。お前キャリアなのに…やることいっぱいなんだぞ…所長に相談しなきゃ、え?ダメなの?え?なんで?だって、こんなことに関わってたら俺まで監督不行き届きで、いや、こんなことってそういう意味じゃなくて、あわわわ。

「先輩、これはプライベートです。仕事以外の時間を割り振ります。そうです。こんなこと、ですよ。だからこそです。こんなことくらいはこの僕には朝飯前なんですよ。まあ、会社には内緒にしておいてください」

「内緒ってお前…」

「涼子さん、よろしいですか?」

涼子は完全に圧倒されてもう頷くしかなかった。

「よし!今から麻布家具の再建計画を始めます。僕の黄金の頭脳にかけてこの案件を必ず成功させてみせますよ!」

「黄金ってお前…もう言い過ぎ感すごいけど…なんか、カッコいいな」

高田先輩が泣き笑いみたいな顔で笑った。



☞ 来週につづく


2015年6月2日火曜日

渋谷のタヌキと魔法の夜



青山に本店があるインテリアショップ。
念願の会社に就職して3年が経った。

毎日が同じ繰り返しだ。
いまだにチラシ配りだしさ。

仕事が単調すぎて、
今は正直つまらないと思っている。
夢見た仕事と違った。
僕には合ってないんじゃないかな。
インテリア。

ずっと下積み作業なんだもんな。
このモノクロの生活から抜け出したいな。
最近はそんなことを毎日考えている。

渋谷。
さっきまでビックカメラの横の居酒屋で、
大学の友達と飲んでたけど、
抜け出してきた。

体調が悪いのかな。
すごく酔っぱらった。
世界がぐるぐる回っている。
渋谷がぐるぐる回ってる。

みんな社会人になって、
僕よりぜんぜん充実している感じがした。
「いやー俺ビックプロジェクト任されちゃってさ」
「えーすごーい」
端っこの席でそんな友達の自慢話をずっと聞いていた。
なにがビックプロジェクトだよ。
気分が滅入る。
ここんとこ同じ理由でfbからも遠ざかってる。
来なきゃ良かった。
人嫌いになりそうだよ。

こうやって駅前のスクランブルに立つと、
ホントに一人になった気がした。
なんだこれ?
すごく怖いな。
こんなに大勢の人間がいるのに・・・。
なぜだろう?
まあ、あれだ。

大勢の人間がいるからだな。

人がなにやら恐ろしいものに見えてきた。
この人たちって・・・。

どこから来て、
どこにいくんだろ?

人は嫌いだ。
一人になりたいな。

故郷の空を思いながら歩く。
あの川沿いの土手。
今も緑であふれているだろうか。
たった一人でポチッと座っているだけで、ホッとした気持ちになった。


携帯のLINEのアイコン。
表示4件。

「どこ消えてんだよ?」
これは雄二。
押しが強くていやな奴。
いつも僕に絡んでくる。

「明日am9:oo店集合。勉強会」
これは会社のアキラ先輩。
いつも上司にペコペコしてる情けない人。

「いつの間にかいなくなっちゃってどうしたの?」
スタンプ挟んで、
「みんな探してたよ?」
これは理沙ちゃん。
大学のとき2ヶ月だけ付き合った女の子。
一方的にフラれた。
理由はいまだに知らない。
いまだに聞けない。

僕は肝心なことをいつも聞けない。

千鳥足。
提灯がぶらぶら揺れる、
飲んべえ横町を抜けて、
宮下公園の入り口。
自販機でなんか買お。
ポケットの小銭。
引っ張り出そうとしたら、
バラってこぼれた。
拾おうと思ってかがんで、
植え込みの土の匂い嗅いだ途端、

・・・吐いた。

自分のゲロを見て・・気持ちが・・。
なんか、もう、こう一気に・・。
あふれた。

「あー」

ゲロに手を入れて、
土ごと掴んで、
自販機に投げつけた。

俺ってこんなもんだったっけ?
突っ伏した。
もういいや、
もうやめよう。
なにもかも嫌だ。

夏になる前に会社を辞めよう。

「うわー」
いきなり後ろで声がした。
十代くらいの馬鹿っぽい女が、
立っていた。

顔は、まあ・・かわい・・くもない。
たぬきみたいな顔をしてる。
見ようによってはかわいいかもって感じ。

「ゲロ投げてる・・」
その女が言って僕の前でしゃがみ込んだ。
500円玉を拾ってくれた。

でも、
夜の渋谷ではこういう関わり方はまずいんだ。どんなことに巻き込まれるか分からない。

僕は無言で立ち去ろうとした。

「ねーねー、ちょっと」

女がついてくる。

「お兄さんってば」

まずいぞ。なんかのキャッチだ。
あとから怖いお兄さんが出てくるってやつ。
ぜったいそうだ。
逃げなきゃ。

「待ってよ」

立ち止まって振り向いた。

「何ですか?」
と僕。

彼女が笑った。
たぬきが笑った。

「いや、なんか悲しそうにしてるなって思って」

いえ、あなたには関係ないことです。
口の中でモゴモゴ言って立ち去ろうとした。

「悲しい人には優しくしなさいっておばあちゃんに言われたんだよね」

その言葉に足が止まった。
いや、
正確に言うと、
その田舎の訛りに足が止まった。
振り向いた。

「東北?」

彼女がハッと口を閉じた。

「どこ?出身」

彼女が答えた地名。
隣町だった。

「えー?お兄さんも?」

************************

彼女は今日、某アパレルショップをリストラされたと言った。

「ファストは終了だよ。ブーム去ったし円安だし」

一人で飲んで落ち込んでたら、
もっと落ち込んでそうな人がいるなっーって。
で、見てたら、
そいつがいきなりゲロ吐いた。
落ち込んだって、私はゲロ吐かないし、
って思ったら、思わず声をかけちゃった。
と言ってケタケタ笑った。

「お兄さんいくつ?」
「25」
話してるとなんだろう・・。
ジワッと安心感をおぼえる。
「君は?」
「19」
ああ、そっか。
この子・・。
地元の言葉に切り替えてくれてるんだ。
優しい子だな。

「ねえ、いい景色見せてあげる」

彼女が歩き出した。

「すぐそこだから」

宮下公園に上がる階段を上がり始めた。

階段の上でこっちこっちと手招きをする。

小さい体がピョンピョンとはねた。

怖いお兄さんが出てくるって感じでもないな。
ついて行った。

彼女が閉鎖された金網を、
よいしょよいしょって言いながら登って、
びよ〜ん
とジャンプして降りた。

「お、おい」

いいからいいから。

しょうがないからついて行った。
金網を乗り越えた。

明治通りにかかる陸橋。
その上から街を見下ろした。

「私、さっきまでここにいたんだ」
と彼女が言った。

酔いがひどい。
金網乗り越えたからかな。

車のテールランプが渋谷駅の方に流れて行く。

人も流れている。
夜が更けて行く。
細い月が西武の上に引っかかっていた。

「ずっと渋谷を見てたんだ」
「渋谷を?」

うん、そう。
といって彼女は黙った。
欄干に寄りかかって僕も見下ろした。
彼女の言う渋谷を。

みんなどこから来て
どこへいくんだろう。

そう思うと少し目がかすんだ。
泣くっていうのでもなくて、
その一歩手前の感じ。

風景がにじんだ。
赤いテールランプがつながって、
ぼんやりとした線になった。
流れて行く。
車も人も夜も流れて行く。

どっちにしても、
みんなどこからか来て、
どこかへ行くんだろうな。

トントンと肩を叩かれた。
「ねえ、あの角の店」
彼女が指を指した先。
カッシーナの後に入ったアパレルショップ。

「DIESEL?」
「うん」
「が、どうしたの?」
「あれが私の夢」
「ゆめ・・?」
「うん。夢」

そう言うと彼女は僕の顔を下から覗き込んだ。

「ちょっと語っていい?」

うん。
僕は頷いた。

「さっき会ったばっかの人にあれなんだけど」
「いいよ」

僕がもう一度頷くと、
彼女はフンって息を吐いて、
もう一度ディーゼルを指差した。

「私はあの店に立つの。そんで、あそこで、みんなにオシャレを配りたいの。そう思ってあの街から出てきたの。みんなが反対した。でもおばあちゃんだけは応援してくれたの。だからね、私はね、帰れないの。ぜったいぜったい帰れないの。ほんとはね、ファストなんて行きたくなかったの。でもあの店に断られるのが怖くて妥協しちゃった。しかもそこをリストラされてさ。バカみたい。でね、私、さっきここに立ってて、決めたの。明日履歴書持ってあそこに行く。もう私は逃げない。土下座してでも入ってやる。私は渋谷になんか負けない。東京にも負けない。自分にも負けない。ぜったいぜったい負けるもんか」

最後はもう独り言みたいになっていた。
僕はずっとそんな彼女の横顔を見ていた。
目を逸らしかけたけど、
なぜかできなかった。

その時僕は彼女が、
美しいと思ったんだ。
いや、彼女がではなくて、
いや、彼女がなんだけど、

なんて言えばいいんだろう。

これが人だと思った。
これが人の美しさなんだって思ったんだよ。

僕の中にわだかまっていた澱のような感情がキレイに失くなっていた。

魔法のようだった。
魔法の夜だ。

細い月の、
薄い月光が、
ひっそりと僕らに降り注いでいた。

気づいたら僕はポロポロと泣いていた。

************************

彼女とどうやって別れたんだっけ。
その後のやり取りをよく憶えてないんだ。
ハッキリ言えるのは、
僕は彼女の名前も連絡先も聞けなかったってことだ。

僕はいつもそうだ。
肝心なことをいつも聞けない。

だけど・・。

************************

もちろん後日譚がある。

************************

真夏。

西武の上に被さる入道雲。
街路樹から沸き立つ蝉の声。
通りから沸き上がる蜃気楼。

お店のちらし配りの帰り。

明治通りの陸橋・・・。
あの陸橋の上から、

「あ・・」

例のディーゼルの店内に、
彼女を見つけた。

八頭身のモデルみたいな女性スタッフの中で、小さな彼女がクルクルと接客して回っていた。

「はは」

僕は笑った口に手を当てた。
土下座して入ったのかな。

ああ、いいぞ。
すごいな。
張り切ってるな。
彼女に接客されているお客さんが笑っている。彼女も笑っている。

ボンヤリ立っている他のスタッフとの間に、
もう完全に温度差があるようだった。
彼女にだけ陽の光があたっているようだった。

あたりまえだ。
あたりまえだよな。
がんばれ。
がんばれ。

私は渋谷になんか負けない。
東京にも負けない。
自分にも負けない。
ぜったいぜったい負けるもんか。

そうだ。
僕もがんばるよ。

手の中のチラシを見つめた。
顔を上げた。
ディーゼルに背を向けて歩き出した。

僕は再び歩き出せたよ。

ありがとう。

************************

ーあとがきー

2015年入社した家具業界の新人のみなさんへ
もう仕事には慣れましたか?
この春、あなたが決めたその場所を、
あなたの最後で唯一の場所にしてください。

応援しています。
がんばれ!!