2015年7月19日日曜日

刃鳴り 2 「シウリ桜」



若き天才、石田春吉率いる
インテリアショップCOREの一代勃興史
「東京インテリアショップ物語」番外編 5 

[ 稀代の削り師 武藤銀次郎 ]





sub-episode 5



「刃鳴り」


                           
2
「シウリ桜」






1950年、東京。
この国が戦後の復興をくぐりぬけ、ようやく発展期を迎えた頃、儂は北海道旭川から東京に上京した。東京タワーのない東京。今でこそ、あの頃を振り返り、貧乏だが夢があったなどと言う者がいるが、それは違う。貧乏と不安。そして、これから訪れるであろう地鳴りのような変化の予兆・・・。怖れ。そうだ。あの時、日本人はみな一様に何かに怖れ怯えていた。だから走るしかなかったのだ。から元気を装い、儂らはせき立てられるように怯え、走った。震えながら前を向くしかなかった。そんな時代の話だ。
とは言え・・・。
22歳。

儂らは若かった。不安を心の底に沈め、とりとめもない漠然とした希望だけを無理矢理に取り出し、儂は身重の妻、詩織を連れて土埃が舞立つ新橋駅に降り立ったのであった。


************************

緑色の都電を降り、俺たちがまず始めにしたことは量り売りのあめ玉を買うことだ。茶色く、がさついた紙袋の中から赤くて大きい一粒を詩織に与え、自分は緑色を口に放り込んだ。

「甘い甘い、痛い痛い」

詩織が後ろではしゃいでいる。
まぶしてあるザラ目が荒すぎて口の中を引っ掻くのだ。
「静かにしてろ」

俺の声に詩織がしゅんとする。

詩織。
師匠の娘。

戦争孤児で身寄りのない俺に離れの小屋を与えて住まわせ、木工の術を叩き込んだ俺の師匠、片桐源治。詩織はその一人娘で、今年17歳になる。俺は10歳になる前から、あの雪深い里で、詩織の世話係をさせられていた。馬になって背中に乗せてあやすのも、寝かしつけるのも、夜中に厠に連れて行くのも、木を削って積み木を作るのも、すべて俺の役目だった。
詩織が15になった頃、その流れ成り行きで、2人は半ば強引に祝言を挙げさせられた。師匠にとっては跡目を俺にと考えていたのだろうが、その後のいざこざでその話は立ち消えた。東京に出るとき見送りもなかったのだから、よほど愛想をつかされたのであろう。
「東京?行きますよ」
「お前、身寄りが居なくなるぞ」
「身寄りは銀さんでしょうが」
「・・・」
「銀さんの腕を世界中に知らしめるのでしょう?」
「・・・」
「なら、私が横でそれを応援しなくてどうするのです」
普段は無口だが、腹に決めたことはテコでも動かない。他に取り柄のない女だったが、そこだけは筋金入りだった。
俺は、詩織を蒲田の産婦人科に送ると、その足である目的地に向かった。
六郷の名門、三越製作所だ。
林幸平。
それがその名門製作所設立時の中心人物の名だ。後に三越の常務にまで上り詰めるこの男は、明治末期、洋家具製作黎明期の日本に、欧米のノウハウをいち早く取り入れた、いわば日本現代家具製作の始祖ともいうべき人物だった。この中心人物とともに興ったのが今の三越製作所の原点である富士屋家具製作所である。
その三越製作所。
戦時中はプロペラなどの軍需品を、復興時はGHQの施設など、進駐軍の仕事をしていたというが、聞いた話によると、現在は再び民間の家具製作に戻っているという。
胸に下げたお守り。

その中にきれいに畳んだ新聞の切り抜きがあった。


[ きたれわこうど ]

木工職人の募集要項だった。
未だ徒弟制度の残るこの時代に木工所が広く民衆に就職を呼びかけるのは珍しいことだった。芝を中心とした東京木工帝国、「芝家具」ではなく、俺が三越製作所を選んだのはその理由による所が大きかった。これら東京の名門木工所が高島屋製作所らと共に相互を善く知り、実質上相互扶助の関係を築いて行くのはその後の話だ。競争どころか、日々の受注に追いつかない戦後の状況が、その奇妙な連帯を生んだと言ってもよいだろう。

工場の入り口に着いた。道の半ばまで沢山の人だかりができていた。俺は人々をかき分け、草の生い茂る、社屋の玄関へと進んだ。

ちょっと兄さんもう無駄なようだぜ、と横の見知らぬベレー帽が言った。
「定員だってよ」

一足遅くあぶれた者たち。俺もその一人だったというわけだ。

冗談じゃない。

俺たちには田舎に帰る金などないのだ。
ぶつぶつと不平を口にし、次々と離散して行く人々を横目に見ながら、俺は入り口の脇にドカッと座り込んだ。

村には帰れない。
ここに居座るのみ。
よし、我慢比べだ。


旭川の神居村。
村を出る時の師匠、源次の言葉を思い出す。




お前は木工の才がある。
しかしその才は鬼のものだ。
ここにはもう戻ってくるな。
詩織はお前にくれたもんだ。
どこでノタレ死ぬなり好きにせえ。


幼子の頃から俺に木工の技を叩き込んだお師匠。その教えはひとつ残らず俺の血肉となった。思春期を過ぎた頃、俺はその一つ一つの教えを自分なりに結びつけ応用し、未だかつてない全く新しい技を生み出して行った。それはお師匠でさえ真似の出来ない俺だけの技だった。
誰もが俺の作品を羨んだ。
誰もが俺の技術に嫉妬した。

そして挙句は

それを盗もうとする奴が出てきた。

後輩の三島市蔵だ。
まだ16歳の子供だった。
技とは・・・・。
己一人のものだ。
己一人で作り上げ
己一人で使うものなのだ。

そして、あのいざこざが起きた。
俺は、俺が開発した俺だけの技術の習得に日夜を問わずして励む三島の指を叩き折ったのだ。


10本の指を全部、カンナの台で叩き折ってやった。

鬼のもの。

お師匠はその所業を鬼と言ったのだ・・・。





ふと隣に気配を感じた。
いつの間にか、丸い顔をした男が俺と同じように座り込んでいた。気づくと周りには、儂ら以外、もう誰も居なくなっていた。

みな帰ってしまったのか。

ふん。東京もんは諦めが早いな。油蝉がジンジン鳴いている。熱波がジリジリと俺の皮膚を焦がす。暇だった。隣の丸い顔はさっきからチラチラと俺の方に視線を投げかけている。

俺はとうとう隣の丸顔に声をかけた。
「なんじゃいわれ?」

そいつはそれを待っていたかのようにニコリと笑った。

「あしは朝倉と申します」

アンパンみたいな丸い顔に似合わない高貴な名前だ。
「その朝倉がなんで俺の横に座ってる」

「兄さんと同じです。泣訴ですよ」

そう言って朝倉という名のアンパンは、たすきがけの布袋からカンナを取りだし、ほらと俺の前にそれを突き出した。

「ね?」

やや小振りの手鉋。
台座が主の手に合わせて加工されて整えてある。握る場所が黒光りする美しさに少しの間、見とれた。

これは見事だ。

台座もそうだが、この刃筋がなんとも言えぬ輝きを放っている。

「この刃は新潟かい?」
「いえ備前です」

備前か。
名産の土地だな。

ふーむ。

「備前は新田屋かね」

「吉川ですな」

「あんた、専門は?」

「低座椅子です」

座椅子・・。

俺と同じだ。
ふーむ。

道の向かいで肥桶を回収している百姓が、座り込んだ儂らを訝しげな顔で見ている。俺はその辺の小石をつまんでそいつに投げつけた。そいつは慌てて逃げて去って行った。
「あしはあれに戻りたくないのです」

朝倉が練馬百姓から目をそらすようにしてポツリと呟いた。

その気持ちはよく分かる。
俺たちのような造形に魅せられた者共は、もうそれ以外は何にも興味が無くなってしまうのだ。憑いたように木を削る。それだけだ。それだけがいい。

「兄さんのお名前は?」

朝倉に聞かれた。

「武藤、武藤銀次郎」

「あしは朝倉善次郎です」

「似た名だな」

「似てますね」

その時、ガラリという音がして後ろの戸が開いた。

「入れ」

中から声がした。

「どうやら根気勝ちしたようですね」

善次郎が言った。

ふん。

儂は口を曲げて笑った。

「わりと早かったな」


**************************

1952年。
結局、儂の腕前はここでも飛び抜けていた。そして善次郎の腕もそれは見事なものだった。昼休憩の時、奴は楢の木塊(もっかい)から、ほんの10分で猫を彫り上げた。虎斑杢(トラフモク)を利用して毛並みを表現するという念の入れようだ。俺はその手をジッと見ていた。家具とは違うが、その工程の中に儂の知らない技が10以上も含まれていた。
「どうですかい?銀さん。あしも中々のもんでしょう?」

得意満面の顔に、おまえは家具職人か?猫職人か?と嫌味を言ったが、その実、内心では舌を巻いていた。こ奴は左甚五郎の生まれ変わりか?

しかしながら、周りの兄衆らを眺め回して、俺たちに匹敵する手練れは部門リーダーの今井専修くらいだった。そして気づいたことがある。この40過ぎの男同様、この会社には理屈理論に関するお喋り達者が大勢いた。製材、乾燥、木取り、組み立て。その理論に誰もがトコトンまで精通していて、それをまたよく喋る。いや、条理を知るのは悪いことではない。俺の体にも木工の理は根付いている。しかしそれはあくまで感覚的なものだ。欅(けやき)には刃をこう立てろ、胡桃(くるみ)はこうだなど言っていてはだめなのだ。欅を相手にするのでも、その木工の筋道は無限にある。それを一つの一般論として憶えてしまったら、融通無碍の技を繰り出せないではないか。

「口じゃあ家具は作れねえよ」
ある日、製図をしている時に口論をふっかけてきた先輩に俺はそう言ってやった。この構造では重力が持たないだとか、この図面じゃ、お前以外誰も作れないだとか、さんざん耳元でやかましかったからだ。

取っ組み合いの喧嘩になった。
周りの社員に引き剥がされた。

寄ってたかって物置に叩きこまれた。
ここでは物置が反省室代わりだった。

「銀さんに製図なんていらないのさ。あん人はあしらと違ごうて頭の中に立体がある。それもとびきり細んまいやつだ。あしらとは違うのさ。天才なんだ」

臭いモップや雑巾が所狭しと並ぶ反省室の外で善次郎が熱弁をふるっている。
ドア越しに丸聞こえだ。

「この量産の時代に天才が逸品を作ってどうする。しかも、奴の木工は力づくだ。モクを押さえつけてもいい作品は生まれんよ。人間関係も一緒だ。その証拠に奴は友が1人もおらんではないか」

これは
今井の声か。
今井専修。
多少は出来る男だが

力づく?
俺は1人でグスリと笑った。
甘い、甘すぎる。

奴らが皆、口を揃えて言う台詞。

「木と会話する」

何をぬかす。
木は木だ。
人ではない。
素材と会話をする?
それはどこのおとぎ話だ?
お前らはみんな妖精か?

そんな眠いことを言ってるから何年も名匠展の入選すら逃すのだ。
木工とは一人よ。
独りでやるものだ。
木は素材でしかない。
それ以上でも以下でもない。
ましてや周りの仲間とお喋りして削るもんじゃねえ。

「あしがいます。あしが銀さんの友ですよ。いや、もっと濃いもんだと思ってる。あんたらがそんなこと言うなら、あしはたった今から銀さんを兄さんにします」

善次郎は皆から好かれるタチだ。
一級品の腕前と誰もが気を許すあの笑顔。
そして何より、善次郎の言葉は人を動かす。

政治家だな。

それにしても兄弟とは、善次郎も思い切ったもんだ。

まあ、悪くはないが。

「木工の世界は腕前で勝負。どうですか?今井さん。次の名匠展であしら兄弟と勝負しませんか?どっちが勝っても恨みっこなしで、でも最後はお互いを認め合う。そんな寸法でいかがです?」

ドアの外で歓声が湧いた。

おおー!
やったれ
いいぞ!!
ヤジが飛び交う。

やれやれ。
全く上手い男だ。

ガチャリと外鍵が外される音がして、反省室のドアが開いた。黴臭い匂いからようやく解放された。目の前で善次郎が照れたように笑っている。皆はもう持ち場に戻っていた。

「銀さん、この会社は現場主義です。みんなを焚き付ければ、会社の上も許可を出すはずです。うまくすれば、あしら新顔が早くも名匠展に出展です。まあ、次は2年後ですが」

善次郎が耳元でコソッと言った。

名匠展出展には下積みが10年は必要だ。うまくすれば、ことの成り行きがどうあれ、俺たちは入社して3年目のスピードで公の大会に出ることとなる。

「俺を兄弟にしたのはどさくさに紛れて自分も出展するためか」

善次郎が舌を出す。

全く
上手い男だ。

***********************
年が明けた正月。
会社の内部指示書が配られた。
1955年「名匠展」

出展代表内定者
今井  専修
武藤銀次郎
朝倉善次郎

此度の展は天覧の予定有り
当製作所代表に恥じない成績を修めるよう
要望するものとする




名匠展。
大手新聞社共同の文化企画。
官公庁の要請により民間に委託されて始まったこの展示会は、実質上、住宅及び内装家具における我が国復興の旗頭であった。スポンサーには財閥系、電鉄系を問わず集まった大手百貨店連合、大手鉄鋼会社、全国の名だたる建設業者など、そうそうたるメンツが企業名を連ねている。多額の入賞金とは別に、ここを足がかりに巣立ち大成した者は未来の立場を完全に保証される。それを狙って日本全国の木工家具職人、その中でも選り抜きの猛者たちが集まるのだ。しかも今回は天覧(天皇の出席)の予定まであるという。賜り物は黒柿の鉋(カンナ)であるとの噂だ。
当然、俺の心は踊った。

芝家具の三島新一、新二兄弟。
高島屋製作所の鳥居左膳(さぜん)

世間一般では神と称される、あいつらと腕試しが出来るのだ。

狙うは日本一。
金賞だ。
そう。
この頃になると俺と善次郎は押しも押されぬ会社の2大看板になっていた。

高級料亭。
諸官庁の内装。
都内のホテルの調度品。
どんどん個人名指定で仕事が入ってくる。俺たちの作品は飛ぶように売れて行った。
納入業者が列を並んで横に立ち、手元を見つめ、完成した瞬間、さらうようにリヤカーに積んで何処かへと運び去って行くのだ。自分の作品の収まり場所すら確認できない忙しさであった。まあもとより俺は自分の手を離れたモノになどまったく興味などないのだが。
削り出しの銀次郎。
彫刻細工の善次郎。

和空間の依頼人は銀次郎に。
洋空間の依頼人は善次郎に。
和洋折衷は手の空いた方へ振り分けられた。

その夜。
俺たちはいつものように蒲田の飲み屋にいた。

駅前の居酒屋、春木屋。

カウンターだけの小さい店だ。
「意匠(デザイン)はお互い決まってるでしょう。問題は材ですね。オルナット(ウォールナット)とかローズ(ウッド)とかマホ(ガニー)を使えたらなあ」

善次郎が言うのは未だ安定供給されていない高級洋材だ。俺も向こうの写真でしか見たことがない。
「無理だな、ティーク(チーク)はどうだ?」

「刃が駄目んなるよう」

ティーク特有の油分は刃を腐らせる。だから嫌なのだと善次郎は言った。カンナを大事にする奴らしいセリフだ。

『銀さん、カンナはね、作品の最中ならそこらに放ってもいいですが、仕上げ終わったらキチンと棚にしまわないと。剣道や相撲で言う蹲踞(そんきょ。礼の座法)みたいなもんです』 

善次郎はいつも俺にそう説教する。

ラジオからは美空ひばり。それにしても、やけに小さいラジオだ。これが今、流行のトランジスタラジオというやつか。

「あしは水楢にしようかと思ってますがねぇ、銀さんはどうなさるんですか?」

酒豪の善次郎はお銚子を45本、自分の前にゴロゴロと転がして、それをいじりながら言った。
「それもあってな、俺は明日、里帰りする。会社にはお前からうまく言っといてくれ」

「旭川ですか?」

「ああ」

俺は勘定をカウンターにジャラリと置いた。

「あ、兄さん行っちゃうんですか?」

「銀でいい。善次郎、俺の材はな・・・」

その時、玄関戸がガラリと開いた。
小さな子がつむじ風のように入って来た。
途端に俺の足にしがみついた。

「父さん !!

「あれ、健一君、お迎えかい?お母さんも一緒かな?」
と善次郎。
戸口に詩織が立っている。
善次郎にぺこりと頭を下げた。
「しばらく見ない間に大きくなった。あらら、いい洋服着てるなあ。この吊りバンド(サスペンダー)なんて舶来ものだぞ。いいなあ、健一君のお父さんは売れっ子で。おじさんもがんばらないとな」

「善おじちゃんは売れてないの?」

「健一」
詩織が消え入りそうな声で嗜める。

「詩織さん、いいんだ、いいんだ」

善次郎は健一に向き直った。

「いいかい、健一君。君のお父さんは日本一だよ。おじさんはね、日本で二番目でいいんだよ。それでもすごいことなんだ」
健一が鼻息を荒くしながら言った。

「お父さんは日本一」


3歳の子供の瞳。
誇らしさでいっぱいの顔。

その時。

「おうおう日本一と日本二ぃだとよ、ずいぶん鼻息が荒いじゃねーか」

と、
声がかかった。

振り向くと戸口に見知らぬ2人連れが立っていた。
片方の男。
開衿シャツの下に入れ墨がチラリと見えた。

双子か?

「誰だぁわれら?」

その2人が俺と善次郎の前に立った。

「俺らぁ芝だよ」

「三島兄弟だ」

交互に口を開いた。
あっと善次郎が声を上げた。

三島新一と三島新二。

名門芝家具の誇る双子の筆頭。
「ほお。三島兄弟か」

そう答えながら、俺は詩織と健一に向かって戸口を指差した。
詩織が健一の手を引いて外へ出て行く。

「最近巷で名を聞く三越のアホづらを見とこうと思ってよ」

入墨の方が土間にペッと唾を吐いた。

「で?」

俺は立ち上がった。

「どうだ?俺らのツラは?」

後ろで善次郎が俺の裾をギュウッと引いている。

「おかまヅラだな」
「ああ。おかまだ」

俺と入墨の額が一寸ほど近づいた時。

「よせっ」

よく聞いた声がかかった。

今井専修が戸口にもたれかかっていた。

いつの間にそこにいたのか。
顔中に怒気を孕んで立っている。
「三越は喧嘩はせん。我らの拳は木を削るためのものだ。お前ら芝は違うのか?」

チッと双子は同時に舌をならした。

「まあ、よい。おかまヅラも見たことだしな、帰るぞ、新二」

2人が同時に踵を返した。

俺が何か言ってくれようとしたその前に。

「帰れバーカ、このハゲ兄弟 !!

後しろの善次郎が大声を出した。
出した途端俺の背中に隠れる。

ハハッと俺は笑った。
「ああ、そうだ」

さっき新二と呼びかけた方が玄関戸の辺りで振り向いた。なるほど、墨入れてる方が兄の新一だ。

「俺らぁはチッペンデールで行くぜぇ?」

新一が挑発顔で言った。

「マホガニーだ」

新二が口を添える。

チッペンデール?
ロココとシノワズリーの融合か。
削り出しと彫刻。例えば俺と善次郎、その両方の技巧がなければ完成できない題材だ。そして、この題材はまさに審査員好み。創作家具よりも教科書的で受けがいい。なるほど。芝家具も相当本気で来るということか。

双子が出て行くと、今井専修が奥のテーブルに座った。苛立たしげに頬杖をついて、「親父、酒っ」と奥に逃げていた親父に注文を投げた。善次郎がその今井に目でお辞儀をした。今井がそれに気づき手の甲をひらひらと振った。
俺はカウンターチェアから立ち上がった。

「あれ?銀さんさっき何か言いかけてなかったっけ?」
「いや、いいんだ。またな善次郎」

のれんをくぐった。
詩織と健一が寒そうにして立っていた。
俺は2人を一瞥すると無言のまま歩き出した。
東京も冬は星がきれいだ。
詩織が健一の背中を押した。

「さ、健ちゃん行こ」

2人が後から付いてくる。
ガス灯の明かりを頼りに3人で歩く。

吐く息が白い。
「今日もお疲れさまでした」

詩織が後ろから声をかける。

「おつかれさまでちた」

健一がそれを唱和する。

その声をよそに、
俺は故郷の平原を思い出している。
先住民族アイヌの遺産。
平均寿命を何倍も生きた化けもの桜
俺の材は・・・。
あのシウリ桜だ。



ガキの頃、離れの土蔵で初めてアレを見た。普段はデカイ南京錠がかかっていて入れないあの蔵に、ひょんなことで閉じ込められた時のことだ。不安に泣き出した俺の背後にそいつは居た。

巨木の丸太だ。
直径にして2mはあっただろうか。

化け物だった。

材、特に日本の広葉樹に関しては師匠から徹底的に叩き込まれている。だから分かった。こいつはとんでもない木だ。
シウリの平均寿命は100年から150年。木の中ではそれほど長命とは言えない。何故か?バラ科、特に山桜は虫や菌に好かれ易い体質を持っていて、大抵は内部から腐って朽ちてしまうからだ。

しかし・・・。

その丸太を恐る恐る触ってみた。

こいつは800年は生きているぞ。
手のひらで直径を計ったり、表皮を割って中の虫卵を調べてみたり、木部を爪で削って食べたりしてみた。アイヌ語で「シウリ・ニ」とは「苦い・木」という意味だ。どんな味かと期待したが、別段苦くはなかった。ただ、シウリ特有の匂いがした。アイヌはこの匂いを嫌ったそうだが、ガキの俺は清涼感のあるいい匂いだと感じた。
そして、
俺の記憶はそこで途絶える。
気づくと俺は母屋の布団に寝ていた。
あとから聞いた話だと、俺はシウリを抱くように気絶して床に転がっていたという。




あの材を使った座椅子をこの武藤銀次郎が削る。
そう考えるだけで心がざわついた。
もとより同門の今井専修など目ではない。朝倉善次郎は?善は水楢を使うと言った。奴は彫刻の腕はもとより、水楢を知り尽くしている。虎斑杢の解釈が上手い。それでも、まったく俺の足下にも及ばないだろう・・・。芝の双子。チッペンデールと言ったか。なぜわざわざ俺たちに主題を知らせてきた?ハッタリの目くらましか?いや、違う。よっぽど自分たちの腕に自信を持っているのだろう。世間から伝わる腕前から言っても、その古典題材で相当の水準の造形を出してくるに違いない。高島屋製作所の鳥居左膳はどう出てくるか。おそらく鳥居はウインザーだ。曲木に長けていると聞いている。俺はそこまで考えて頭を振った。
ケッ。

それでも俺が勝つ。

俺が他所の誰かに負けるはずなどないのだ。
賞金はいくらと言ったか。
確か俺の月給の10倍ほどだった気がする。
そして黒柿の鉋だ。

振り返った。

「詩織」

「はい」

「今度の名匠展、金賞取ったら何が欲しい?」

健一が不思議そうな顔をして俺を見上げた。
「まとまった金になる。どうだ三越で着物でも買ってやろうか」

詩織は困ったようにはにかんだ。
今でも充分に間に合っていますから・・。
小さい声でそう言った。
「テレビ、洗濯機・・・冷蔵庫も買ったばかりだしな」

家が見えて来た。
こじんまりとした平屋の旧屋。
そうか、もっと大きい家にでも引っ越すかな。
そしてその邸宅を俺の家具で調度するのだ。

うーむ。
それがいい。

その時、詩織がぴょんと飛び跳ねた。
「銀さん、私決めた。あれがいいです」

「なんだ?」

「カレーが食べたいです。中村屋の」

カレー?
その答えにカッとなった。

「そんな段じゃないっ!!

俺の価値がその程度だと言われた気がした。
後ろで詩織がキュッと小さくなった。
ごめんなさい。
小声で謝った。

俺は無言で玄関ドアを開けた。
俺が日本一になる祝いだ。
そんな細い欲でどうする。

いつまでたっても田舎の心持ちが抜けない奴だ。

その時ドサリという物音がした。

振り返った。
詩織が倒れていた。
健一が目をまん丸く見開いた顔で母親を見下ろしていた。

「母さん?」
「詩織?」

2人で詩織に駆け寄った。









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