2015年6月26日金曜日

「東京インテリアショップ物語」番外編 [幹の桜]



若き天才、石田春吉率いる
インテリアショップCOREの一代勃興史
「東京インテリアショップ物語」


番外編 4
[ グラフィック博士、佐藤シンペーの物語 ]




sub-episode 4

「幹の桜」


1

広告代理店に勤める、佐藤慎平の妻が姿を消したのは6月の蒸し暑い夜だった。

深夜過ぎの帰宅。

鍵穴を回した時の感触がいつもと違っていた。いつもよりふわっとシリンダーが回った感じ。

玄関口から見える、暗いLDK。
カーテンを引いていない窓。
6月の雨がガラスにいく筋もの雨だれを作っていた。

ダイニングテーブルがキレイに片付いていた。僕はそこに何か普通じゃない雰囲気を感じたんだ。なにかすごく大事なものがまるっと抜け落ちたような、不吉なテーブル。普段、勘のニブい僕がその晩はやたら冴えていた。

「美沙ちゃん?」

僕は小声で妻の名前を呼んでみた。
返事はなかった。
かわりに冷蔵庫がウィーンと音をたてた。

僕は靴を脱ぐのももどかしく、あわてながら、手近のトイレとバスルームを確認した。どこにもいなかった。最後の部屋。ベッドルーム。普通に考えて、ここにいるはずなんだ。でもなんだろう。この感じ・・・。

ノブに手をかけて、開いた。

美沙はいなかった。

奥の窓の側。

ベビーベッドに娘の夏姫が立っていた。
こちらに背を向けて、柵に付いた小さなマスコットをいじっていた。

「夏姫ちゃん!!」

僕の声に夏姫が振り向いた。
夏姫が、はにかんだように、
にこっと笑った。

「お母さんは?
どこに行ったの?」

1歳半の夏姫。
まだ言葉を喋れない。
なぜかまだ、ハイハイもできない。

「お母さんどこ行ったんだろうね」

抱っこすると、
彼女は一瞬、キョトンとした顔をして、
そして急に堰を切ったように泣き始めた。
おなかを僕の顔につけて、僕の頭に手をまわして、しがみつくように大きな声で泣き出した。

ど、どうしよう。
とりあえずミルクを作った。
彼女はそれをングングと飲み始めた。

飲み終えて、まだ泣きそうだったから、僕は夏姫をだっこして「よしよし」って背中を優しく叩いた。そしてその格好のまま、右手で携帯を取り出した。携帯電話、SNSメッセージ、LINE。考えられる連絡先に全部連絡を入れた。レスポンスはなかった。そうだ。何かの事故かもしれない。警察だ。もう一度iPhoneに目を落とした時、ギクっとした。メールの件数表示アイコン。「1」。AM2:00。最後にメールをチェックしたのは自宅のマンションに着いた時。こんな深夜に他人からメールなど来るはずもなかった。あわててメールを開いた。

「慎平へ」から始まる超長文のメール。美沙ちゃんからだった。知らずのウチに正座になった。読み進める。そこには、出会った頃の気持ち、それがどのように変化していったか、どんな心の変化が起こり、何が辛かったか、そして最終的に出した結論に今どんな気持ちでいるかが克明に書かれてあった。でも・・・。そこには僕のことも夏姫のこともまったく書いていなかった。

「全部自分のことじゃないか !!」

僕は携帯を床に叩き付けた。腕の中で、半分寝かけていた夏姫がハッと起きて、僕の顔をピシャッとたたいた。

「あ、ごめん」



2

「で?なんでウチなんだ?」

中目黒のボロアパートの2F。
窓から目黒川が見える。
夏姫が新ちゃんの背中に乗っている。
その向こうに桜の木の緑。

「だって、新ちゃん就職浪人だし、まだ保育園決まってないんでしょ?」

夏姫が新ちゃんの鼻を引っ張っている。

「勉強してるんだよね?保母さんの、あ、保父さんか」

「まあな」

新ちゃんがアイドルみたいなきれいな顔をブルッと振った。
夏姫がキャッキャッと笑った。

新ちゃん、伊藤新。
新ちゃん、幼稚園から大学までずっと一緒の親友。
新ちゃん、女の子だけど、心は男。
新ちゃん、性同一性障害の幼なじみ。

幼い頃から引っ込み思案の僕をいつも助けてくれた新ちゃん。いじめられると飛んできて、いじめっ子たちを蹴散らしてくれた、僕の英雄。

「なあ、シンペー。俺言ったよな、美沙ちゃんはやめとけって。こうなるのは分かってたんだぜ?」
「うん」
「で、どうすんの?」
「どうするって?」
「会社は?天下の電通は?やめんの?ようやく念願叶ったんだろ?」

僕の夢。
言葉をうまく使えない僕に神様がたった一つ与えた能力。
グラフィックと映像の才能。
僕はこの能力で世界を幸せにしたい。
そう思って入社した会社。

「やめない・・やめたくないよ」

夏姫をチラッと見た。
あっ。
おむつがパンパンになってる。

「じゃあ、美沙ちゃんを探すしかないな」

僕はおむつを替えながら頷いた。

「うん」
「しょうがねえな。じゃあ、お前の出勤中はここで預かってやるよ。男の世話すんのは絶対ごめんだけど、お前は・・・昔から、まあ別もんだし、夏姫は女の子だしな」

だけど俺の就職が決まるまでだぞ。
新ちゃんが夏姫を見ながら言った。

「大丈夫?彼氏、あ、いや彼女さんとか来ない?」

ははっ。今はいねーよ。
新ちゃんが笑った。



3

美沙ちゃんの実家に行ったり、
住民票を追いかけたり、
置いていったPCからGPS使ったり・・・。

考えられることはすべてやった。
でも彼女を見つけることが出来なかった。

夏が終わり、秋になった。

会社の仕事が手に付かなくなってきた。僕は二つのことを追いかけられない。昔からそうだ。とことん不器用で自分が嫌になる。同期のみんなの配属が決定していくのを見ながら、僕はうなだれた。

夏姫がいなければ僕だって・・・。
そう思うようになった。

でも本当は違うんだ。
僕は複雑な仕事に向かない。
単純明快な仕事を深く掘り下げる方が性にあっている。

それを夏姫のせいにしようとしているだけだ。


表参道のスパイラル カフェ。
上司の仕事の打ち合わせ。
予算表を渡すだけの仕事が2件。
一件目が早めに終わった。
次の予定が同じ場所で30分後か・・・。
僕はMacを開いた。
作りかけのグラフィックをいじる。
これをやっているときだけ、いろんな悩みから解放される。
アイスコーヒーのおかわりを注文した。

夢中になってキーボードを叩いていると、僕の肩に誰かが手を置いた。振り向く。茶色い短髪の小柄な男が立っていた。

「これ、STAR WARS?」
「はあ」

知らない人とはなかなか上手く話せない。

「すげえな」

その男が呟くように言った。STAR WARSの6作品を一枚のグラフィックにまとめたコラージュ・ポスター案。僕が勝手にやっているお遊びだ。

「すげえよ。これ一枚で全部分かる。ストーリーもそうだけど・・うーんなんて言うかな。だってさ、このタイトルロゴ。これお前が作ったの?」

あ、そこ気づいた?嬉しくなった。

「えーとですね、一作目の当初は、もちろん、あの正規ロゴで良かったんですけど、こう時間も経って、内容や時代も変化してくると、あのフォントのままじゃ気持ち悪いというか・・」

僕はハキハキ喋った。

シンペー、そのハキハキした感じ。オタクっぽくて気持ち悪いぜ?新ちゃんの言葉を思い出してハッと口をつぐんだ。

しかし、その男はフンフンと真剣に聞いていた。そして急に振り向いて大声を出した。

「アキラ!! すげえぞこいつ、天才だ !!」

つられてそっちを見た。アキラと呼ばれた長身の男が手をひらひらと振った。

「春吉、こっちが終わってないんだけどな」

春吉と呼ばれた男はチェッと舌を鳴らすと、またこっちを見た。

「お兄さん、家具に興味ない?」

家具?
あの日の光景。

きちんと片付けられた、
不吉なダイニングテーブル。

家族が壊れた日のあのテーブル。

・・・我に返った。

「あ、家具は怖い・・です」

思わず口走った。

「怖い?」
「テーブルが怖いです」
「テーブルが怖いって、お前家族に何かあったのか?」

ドキンとした。
なんで分かるんだ?

「テーブルってのは家族の象徴だ。それが怖いってのは家族になんかあったってことなんだよ」

と言って、春吉という男がニカッと笑った。

家族の象徴・・・。

「まー。興味ありってことだな」

春吉が名刺を僕に放った。

「今度、ここら辺に店作るから遊びに来いよ」

と言って、もとの席に戻って行った。



4

いつの間にか冬が終わろうとしている。


日曜日。
人のまばらな初春の目黒川。
桜のつぼみはまだ開かない。

開花すれば、ちょっとさみしいこの風景は一変する。人も沢山詰めかける。

夏姫は元気だ。新ちゃんが押すベビーカーの中で意味不明な歌を歌っている。まだ言葉は喋れない。それどころか、まだハイハイもおぼつかない。立つのは早かったんだけどな。

「発達、ちょっと遅いよな」

新ちゃんが言った。

「うん」

僕は答える。

「調べたんだけどさ、あんま気にしなくていいみたいよ。そのうち一気に来るって」

通行人が新ちゃんを見て振り返る。芸能人と勘違いしているんだ。なんで新ちゃんは中目黒なんて芸能人だらけの街に住んでるのかな。

「一気に来るって?いきなり歩き始めて、いきなり喋り始めるってこと?」

ベビーカーの夏姫を見る。あぶあぶ言いながら、ベビーカーの一部をしゃぶっている。この子がいきなり歩き始めて、いきなり喋り始める?

・・・ちょっと想像がつかないな。

「今、いろいろ溜めてんだって、きっかけがあれば、うん、そんな感じでいきなり来るらしいよ」

「ふーん」

新ちゃんが何か言いたそうにしている。女の子みたいに少しモジモジしている。まあ、どこからどう見ても女の子なんだけど。いや・・・というか、新ちゃんは最近変わった。前みたいに俺って言わなくなった。短い髪が最近は伸びている。簡単に言うと女の子らしくなってきているんだ。なんでだろう。言いたそうだけど言えないなんて、新ちゃんらしくないな。

「どうしたの?」

と聞いてみた。

「あ、うん。あのさ、シンペーにちょっと聞きたいんだけどな」
「何?」
「あ、いや、家族ってなんだろうな」

家族?
春吉という男が言っていた。

「テーブル?」

僕の返答に新ちゃんが口をムグッてさせた。はぐらかされたと思ったのかもしれない。

「まあ、いいや、忘れてくれよ」

そう。新ちゃんは最近ちょっとおかしい。就職先がまだ決まらないからかな。世の中、これだけ待機児童が多いのにな。新ちゃんをチラッと見た。やっぱり、履歴書の写真がスーツだからじゃないかな。でもそれは言えない。彼女の存在の問題だから。命をかけてもゆずれない一線だから。そう思って新ちゃんを見た。何か違和感・・ん? あれ? スカートはいてる。初めて見たな。新ちゃんのスカート。

新ちゃんがお店の前で立ち止まった。じっとショーウィンドーを見ている。ぬいぐるみの専門店だった。ドイツのブランドの直営店らしい。

「よお、シンペー、夏姫のプレゼント買ってやれよ」

そうだ。もうすぐ夏姫の2歳の誕生日だった。新ちゃんが憶えてて、僕が忘れていた。

夏姫がいなければ、仕事も上手くいくのかな、なんて最近考えてたから、忘れたんだな。きっと。

昨日の電話。
九州の僕の実家。母のセリフ。「夏姫ちゃんは一度ウチに預けなさい。もう美沙さんは戻ってこないんでしょ?新ちゃんに預けとくのも夏姫ちゃんにとっていいことじゃないわ。お父さんもいいって言ってるし、あなたはちゃんと今の夢を追いかけなさい。ね。来週迎えに行くからね」

僕の夢。
グラフィックと映像で世の中を幸せにすること。

僕はすぐにその話を新ちゃんに打ち明けた。新ちゃんはしばらく黙っていたけど、「そうだな。それがいいよな」って最後にはそう言ってくれた。

僕らはその店で小さい犬のぬいぐるみを買った。芝色のそいつはちょっと困ったような顔をして、ペロッて舌を出していた。

首輪にロゴが書いてある。
[ ファミリー&フレンド ]

夏姫に手渡した。
夏姫は・・・
そいつをぎゅーっと抱きしめて・・・
にへっと笑った。

「わんわんだよ?」

僕は顔を夏姫の顔に近づけて言った。

「言ってごらん、わんわん」

ぷすー。

夏姫は変な吐息を吐いて、
なぜか僕を見つめた。

「わんわんだよ、わんわん」

ぷすー
ぷすー

夏姫が犬のぬいぐるみをポイッと捨てた。
そして僕を小さな指で指差した。

お前のことわんわんだと思ってんじゃねーの?と新ちゃんが笑った。

「夏姫・・・・何か言ってよ」

ぷすー

僕の目に涙がにじんだ。
春の目黒川。

桜の枝木が小さなつぼみをつけていた。優しい陽だまりがあちこちにできていた。でも、本当の春はまだ先のようだった。



5

「慎平、もたもたしないで!!」

さっきから母が僕をせかしている。
ぼーっとしていた手を早めて、僕は夏姫の洋服をカバンに詰めた。

母が夏姫のベビーカーを開いたり閉じたりして研究をしている。
ふーん最近のものはよくできているのね。
夏姫は床にごろごろ転がっている。

夏姫のモノが無くなったら、部屋がとてもがらんとした。

ダイニングのテーブルに春の光が落ちていた。

美沙も夏姫もいなくなるのか。
このテーブルで僕は毎日たった一人でご飯を食べるんだ。

「あ」

わんわんを忘れた。
新ちゃんの家だ。
母に言った。

「いいじゃない。そんなの博多でも売ってるわ」

でも彼女のお気に入りなんだよ。新ちゃんにも最後の挨拶しないと。世話になったんだし。母は、まあ、そうね。とブツブツ言ってついて来た。僕の気変わりを警戒しているのだろう。夏姫にも僕にもこれが最良の方法よ、毅然としてなさい。昨夜母はそう言っていた。

タクシーが新ちゃんのアパートについた。桜はまだ咲いていなかった。最後に夏姫に見せてあげたかったな。

新ちゃんがぶすっとした顔でアパートの前に立っていた。胸にわんわんをぎゅっと抱いていた。

母が新ちゃんに挨拶した。
いろいろありがとうございました。
母はわんわんを受け取ると
ベビーカーに夏姫を乗せた。
さてと、じゃあ行くわね。
駅まで送るよ。
僕の意見は通らなかった。
キリがなくなるからと母が言った。

目黒川沿いの小道。
夏姫が遠ざかって行く。

夏姫のいろんな表情、
夏姫のいろんな仕草。
すごく大事なものが・・・
遠ざかって行く。

ぼんやりとした朝の春霞。
僕らはポツンと2人ぼっちで立っていた。
横に立つ新ちゃんが口を開いた。

なあ・・。

僕はうつむいた。
目の端に桜の花が見えた気がした。
ハッと顔を上げた。
幹に大きく桜の花びらが咲いていた。
今年初めての桜だ。

その時。

「わんわーん」

遠くから声が聞こえた。

「!」
「・・・え?」

新ちゃんがへたりこんだ。
ああ。
僕らが間違うわけがなかった。
夏姫の声だった。

「わんわーん」

へたりこんだまま新ちゃんが言った。

呼んでるよ・・・。
シンペーを呼んでるよ。

遠くで母が座り込んでいる。
すごくむずがっているようだ。
ベビーカーから夏姫をおろした。
夏姫が両手を道路につけた。
その体勢で数秒、
プルプルと震えて・・・。

「夏姫・・・」

彼女は、ゆっくりと立ち上がった。

そして・・。

新ちゃんが口に両手を当てた。

「夏姫・・・」

遠目にもわかる。
短い両手を前に出して、
一歩
一歩

『一気に来るって?いきなり歩き始めて、いきなり喋り始めるってこと?』

こっちに
歩いてきた。

新ちゃんがガバッと立ち上がった。

「シンペー ! !」

僕の手を握った。
握った手を僕の目の前に振りかざした。

「こういう家族でもいいんじゃないのかなぁ!」

わかってる。
わかっていた。

新ちゃんが少しづつ変わっていた理由も、僕は心のどこかで気づいていたんだ。

「あたしはこんな人間だけどさー
結婚できるかなんてわかんないけどさー」

いいよ、新ちゃん。
分かってるって。

「慎平の気持ちも分かんないんだけどさー」

「わんわーん」

その三度目の声に、
僕たち2人は同時に走り出した。
桜並木の視界が流れた。

気づくと
幾つもの桜の花。
季節が今、
動く。


僕の夢。
グラフィックと映像で世の中を幸せにすること。

世の中・・・?

世の中って誰だ??

それは夏姫より大事なものなのか??

夏姫ごめん。
お父さんいくじなしでごめん。
お前に答えを出させて・・・ごめん。

「夏姫ーーーー !!!」

つまづいた。
転んで顔を上げたら、
夏姫の顔が目の前にあった。

「・・・わんわん」

夏姫が僕の鼻を押した。

「わんわんじゃないよ。
お父さんだよ・・・」

声に出して泣いてしまった。
心に・・
きれいな水みたいな
何かが満ちて行った。

僕と新ちゃんは、
笑いながら泣いていた。



6


夕焼けの帰り道。

「新ちゃん・・」
「なに?」
「テーブルが欲しい」
「ふーん」
「一生使えるやつ」

僕と新ちゃんと夏姫。
ほんとはちょっといびつな3人が一つのテーブルを囲む。

『家族って何だろう』

新ちゃんは前にそう聞いたよね。
僕はね、家族の形なんて、
家族の分だけあるって思うんだ。

『テーブルは家族の象徴なんだよ』

春吉って言ったっけ。
彼はテーブルを売っているのか。
それって・・・。
すごく単純で、
すごく幸せな仕事だな。

今度、彼の店に3人で行ってみよう。

「ねえ、新ちゃん・・・」

新ちゃんが振り向いた。

「家具屋ってどう思う?」



ーおしまいー
















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