2015年6月20日土曜日

生きる音


若き天才、石田春吉率いるインテリアショップCOREの一代勃興史
「東京インテリアショップ物語」番外編3

孤高の接客士、朝倉舞の光と影




sub-episode 3
「生きる音」




病室の窓の外
彼女は山の間に光る青い海を見ていた
僕と同じ15歳
でも違うのは
僕が死ぬ病気で
彼女は死なない病気だということだ

彼女はああやっていつも外を見ている
ほとんどしゃべらない無口な子だった
寝苦しい夜とか
ヒンヤリとした朝に
彼女はポツンポツンと話す
部活はやってるの?
演劇部
どんな作品が好きなの?
アンナカレーニナ
そんな感じだ

今、窓からの光りが彼女を透かしている
彼女は半分光りに融けていた
とてもきれいだ
舞台の彼女はもっときれいなんだろう
僕は思い切って言ってみた
君の舞台を見てみたい
その時彼女は頬を染めてこう言った
うん。見にきて、約束ね
僕は嬉しくて
布団の中で両手をギュッと握った
文化祭・・・
秋か
がんばろう
それまではなんとかして
生きるんだ





私はその子と同室になった時
とても恥ずかしい気持ちになった
彼は知らないだろうけど
私はずっとその子が好きだった
クラスがいっしょになったことはない
でもいつからだろう
私はずっと彼が好きだった
廊下ですれ違うときは
いつも緊張して
彼の上履きしか見れなかった

私はうまく言葉を喋れない
昔からだ
友達ともうまく遊べない
だから小説や映画に没頭した
そして演劇に出会った
これしかないと思った
その世界の言葉は
私の言葉ではない
だから私は舞台の上でだけ
言葉を話すことができた

ある日いつものように
私がぼんやり外を見ていると
彼が言った
君の舞台を見てみたい
おもわず振り返った

見て欲しい

私はあなたに伝えたいことがある
どうしても伝えたいことがある
演劇のセリフに本心を乗せてこの想いを
あなたに伝えたい。
この先・・・
世界中の誰とも話せなくてもいい



お母さんと先生が廊下で話をしている
しばらくして
お母さんが僕のベッドにやってきた
いい子、いい子ね
僕の頭をなでた
隣のベットで彼女がそれを見ている
赤ちゃんじゃないんだから
やめてくれよ
でもそれは言葉にならない
代わりに
ひゅう
という風のような音が僕の口から漏れた


彼のお母さんと先生の話を聞いた
奇跡的だ
このままだと夏を越せるかもしれない
何があったのかは知らないが
今の彼からは生きる希望を感じる

私は胸の前で手を握った
それしか時間がないのか
秋までもたなかったら
私はこの気持ちを伝えられない
彼のお母さんが出て行った後
私は彼のベットの横に立って
彼と向き合った
今言えるなら・・・
今・・・
私は
口をパクパクさせた

茶色い髪が好き
優しい目が好き
照れた顔が好き

でもやっぱり
私の言葉は出てこなかった


[その夜の音]

2人の寝息の音

静かな
静かな
病室の
白いカーテンが
風になびく音

優しい
優しい
潮の香り
そして遠くに
波の音

月と満天の星の下
微かな
微かな
生きる音






何かが割れる音。
私はガバッとと布団を剥いだ。跳ね起きた。彼がベッドの上で暴れていた。ものすごい声を出していた。ベットの下。点滴のビニールケースや薬瓶が割れて粉々になっていた。私の心臓が跳ね上がった。ダメっまだダメッ。ナースコールを何度も何度も手のひらで叩いた。飛んで行って、私は彼の肩に手を置いた。凄い勢いで弾かれてしまった。彼が海老みたいに跳ねるのを見て悲鳴をあげた。ダメっそんなのダメ。もう一度私は彼に向かって、頭から突進した。抱きしめた。お願いお願いおねがいい。彼がうわごとのように何か言っていた。口に耳を寄せた。ザザザザという変な音に混じって、ごめんごめんと彼が謝っていた。何度も何度も謝っていた。私はその意味が分かった。秋まで待てなくてごめん。もう一度今度は彼の枕元のナースコールを叩いた。早くしてっ!! 早くッ!! 死んじゃう死んじゃう死んじゃうから!! 私の二の腕に、カッカッと彼が何か変なものを吐いた。それを見て私は悟った。今だ今しかないんだ。私は彼の体から離れた。そして彼の目に言った。見てて、見ててよ。絶対目を閉じないでよっ!!

ミーシャが宮廷ドレスの両端を掴んでお辞儀をする。華麗に少し小首を傾げて。

見てる?見えてる?

ナボコフが面食らったようにして、
ミーシャを見つめる。
手の甲を口に当てる。
ちょっと溜めてセリフ。

「まあ、閣下。ここにいらしたのですか。私はあの時あの列車の一号車から最後の特等車まで何往復もあなたを探しましたの」

ああっだめだよ
向こうをむいちゃった
こっちだよ
私はこっちだよ

ここで右下に視線を落として、
クルッとターンして窓に近寄る。
木の扉の蝶番が錆びているだろうから
こう・・力を入れるように開ける。
そして意思を強く持って外を指差す。

「いつかあなたの言っていた楽園。私は一人で探しに行くわ。その先で私はまた誰かを愛し、子供を育てることでしょう。でもどうぞご心配なさらずに。だって私は・・・」

振り向く。


「いつもあなたと共にいるから」


彼の目が私をちゃんと見ていた
私は生まれて始めてって言うくらいの



大きな大きな声をあげた



「心はあなたとずっと共にいるから!!!」



先生と看護婦さんが扉からなだれ込んできた。誰かに突き飛ばされた。倒れた。あなた何やってるのっ。怒鳴られた。病室が騒然とした。先生の声。すぐ治療室を・・・今すぐ!!「好きなのっ」部屋の隅で私は叫んだ。彼のベットが動いた。「茶色い髪と優しい目と、えっとえーっとそれからそれから、あー!! もっといっぱいあるんだけどなー!! うまく喋れないんだよなー おかしいなー!!! ダメだぁわたしはダメだー」彼がそのまま運ばれていく。病室のドアを出る時、彼は首を曲げて目だけで私を追った。彼の口が少し動いた。

ありがとう。

「やだーーーいやだーーー」
私は四つん這いのまま床に叫んだ。





「何をボーッとしている」

武藤健一が言った。
朝倉舞がハッと顔をあげる。

「あ・・はい」

電車が湯河原の山間を走っている。
時折青い海がその合間に見え隠れする。

「ちょっと昔のことを思い出してて」
「そうか」
「ずっと忘れてたんだけどな」

昨日会ったあの若い男。あいつに会ってから、私はどうも少しおかしいようだ。

そういえばあいつも髪が茶色かったなぁ。

目の前の男。

ビジネスという舞台で、
私にセリフと配役を与えた男。
私に初めて自信を与えた男。

でも、私には何も与えさせない男。私どころかこの世の誰にも愛情を持てない男。そしてそれが凡百のライバルが束になってもかなわない、この男の異常な強さの所以でもあるのだ。

哀しい男?
違う。
これも一つの強さだ。
この男は紛れもなく、
最強の男だ。

「健一さん?」

あなたの目指している楽園。
でも、そこはやっぱり、
私の向かう場所ではないみたい。

「私は行くよ」
「どういう意味だ?」
「Territoryを辞める」
「AREA潜入の話は?」
「やめとく」
「・・・そうか」
「銀次郎さんによろしく言っといて」
「自分で言え」

ははっ
そりゃそうだね。
銀次郎さんはなんて言うかな。
自分で決めたことだ・・・。
とかかな。
手鉋引く手も止めずに言うんだろうな。
舞、お前は太陽だからな。
健一を頼むぞ。
ごめん銀さん、私この人を守れなかったよ。
結局、守らせてもらえなかった。

「気になる奴がいてさ」
「・・・・」
勘のいい男。
これですべて分かっただろう。

麻布家具の一件。

これでTerritoryは麻布ニュータワーに食い込むことが出来る。今後の収益は莫大なものとなるだろう。その代わりに私は一つの家族を滅茶苦茶にした。それはそれでいい。弱いものは食われる。甘い者は潰される。あなたは決して間違ってはいない。でもね、今、ちょっとした夢を見てね、なんか、まるで潮が引くように自然にね、思ったの。もうそろそろ私は舞台を降りて、誰かのセリフじゃない、自分自身の言葉を話す時が来たんじゃないかって。そうだね。その自信を与えてくれたのはあなたよ。ありがとう。本当はあなたの下で自分の世界を作りたかったのよ。それができたらどんなに素敵だったろう。

『朝倉ぁ、おめえ、まじで気持ち悪いぜ?他人のセリフみてーに、物事を話すんじゃねえ。てめーの言葉で話せよ。そうじゃねーと誰もお前を見てくれねーぞ』

見てて、見ててよ。絶対目を閉じないでよっ!!

「ねえ、健一さん」
「ああ」
「聞いてるの?」
「ああ」
「泣かないでよね?」

フフッと笑って、
朝倉舞は武藤健一を見上げた。
武藤はスッと目を外した。
窓の外に顔を向けた。

ホントに?
まさかね。

『いつかあなたの言っていた楽園
私は一人で探しに行くわ
その先で私はまた誰かを愛し
子供を育てることでしょう
でもどうぞご心配なさらずに
だって私は・・・』

「ねえ」
「なんだ?」

『いつもあなたと共にいるから』

「心はずっとあなたと共にいるからね」





微かな
微かな
生きる音





photo:
アンナカレニナ/キーラ ライトレイ

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