2015年6月14日日曜日

東京インテリアショップ物語 番外編 「畳の目」前編

若き天才、石田春吉率いるインテリアショップCOREの一代勃興史「東京インテリアショップ物語」そのサブエピソード2。 (エピソード1「渋谷のタヌキと魔法の夜」)

後に春吉の右腕となる悪魔の会計士こと武田仁成の若き苦悩を描く。




sub-episode2
「畳の目」

1章

親父が死んだのは僕が中学生の時だ。ひどく蒸し暑い霧雨の朝だった。バスケの全中地区予選を控えて朝練に出かけようとした僕は、親父の部屋の開け放しのドアの向こうに、何かひどく恐ろしい気配を感じた。「とうさん?」親父は仰向けになって目を開けたまま死んでいた。開け放された窓の向こう。雨に濡れた庭のあじさいがやけに碧々とした色を覗かせていた。

「お父さんは銀行に殺されたのよ」母は妹を抱きながら、そう言って泣き崩れた。家業の家具屋が傾いているのは知っていた。貸し剥がし? 良くある話すぎて実感がわかない。「心不全だろ?」僕は母親に言い放った。不幸を誰かのせいにすると、この先、生きにくくなる。本能的にそう思ったからだ。資金繰りで行き詰まって心労を重ねたにせよ、直接的死因は銀行にはない。

仁成(じんせい)にウチを継いでもらいてえなぁ。いつも親父はそう言っていた。ごめんな。親父。さすがに無理だよ。親が愛していたものを子供が愛さないわけがない。でも、まだ中学生の僕にはこの借金を背負えない。当たり前の話だ。でも、葬式の間中、目の前の畳を見ながら、その網目を数えながら、僕はずっと謝っていたんだ。

継げなくてごめんなぁ。
親父、ごめんなぁってさ。

その後の苦労は推して知るべしだ。無数の不幸を嘆きながら僕は育った。バスケは辞めた。代わりに勉強を始めた。何故か?僕にとってそれが一番金のかからない暇つぶしだったからだ。朝から晩までずっと机に向かった。中学の卒業式さえ忘れて没頭した。笑えない話だ。そして、思春期を終え、高校も半ばになり、ある日、僕はようやく自分を襲っている不幸の根っこに気づいた。

金だ。
僕を翻弄する苦労の底にはいつも金という魔物が横たわっていた。
金、金、金、金。
金って一体何だ?

そう思うと居ても経ってもいられなかった。僕は金融学を我流で学び始めた。国立図書館に毎日通った。めくるページに呪いの言葉を吐きかけながら、喰らうように金にまつわるあらゆる事柄を学んで行った。

僕は、金の道を行く蛇となった。

東大を卒業後、母親の猛烈な反対を押し切って、僕は東京三菱銀行に入社した。キャリアコースに進んだ僕は、未来を嘱望された若手幹部候補生としてもてはやされた。将来は頭取も夢じゃないと。支店の窓口の女から、保険屋など出入り業者の女、果ては付き添いで相伴する銀座のクラブの女まで、たくさんの女が俺に寄ってきた。相手にするわけがなかった。そいつらは全員果てしなく気持ちが悪かった。奴らの目の奥にいやらしい打算と貪欲な欲望が渦巻いているのが見えたからだ。

そう。
結局、金は人の行動原理の結果で増減する。金を極めるということと、人を極めるというのは、詰まる所ほぼ同義なのだ。知らず知らずに僕は人の心の奥を見極める達人になっていた。

初めて担当した外商客は西麻布の「麻布家具」という家具屋だった。現社長が3代目という名門家具屋だ。僕の教育係である高田先輩から引き継いだ案件だった。家具屋か・・・。親父の顔が一瞬頭をよぎった。しかし、いい機会だと思った。栄光へと続く僕のデビュー戦だ。過去のトラウマを払拭するいいチャンスではないか。僕は顔を上から下にツルリと撫で、仏の表情を演出すると、麻布家具の門をくぐった。

「君が新しい担当かい?」

出てきた社長は親父と同世代のみすぼらしい男だった。

「初めまして。武市社長。表参道支店の武田仁成と申します」

「どうもこんにちは。武市善吉です。まあ、私のことは大統領とでも呼んでください」

は?
言葉に詰まった。
大統領だと?
正気かこいつ?

しかしその笑顔には一つの嫌味もなかった。どうしてだろう。その笑顔に微かに好感を持つ自分がいた。悪い人間じゃなさそうだ。

ふと気づくとその大統領とやらの後ろに女が立っていた。
前髪が目に半分かかっている。
厚ぼったいワンピースを着ていた。
地味な女だった。
その女は僕にぺこりとおじぎをすると、ぷいっと外に出て行った。

「ああ、あれはワシの娘でな。この時間だ、大学に行ったんだよ。頭いいんだぞ。お茶の水だ。あ、そうだ。あいつは生まれたときから声を出せなくてな、無礼をしたな」

声がでない・・のか。
なるほど。
ここにも不幸がまた一つというわけだ。

支店に戻って、麻布家具の貸借対照表をめくった。
雀の涙ほどの売上高。
慎ましい販管費があの家具屋を支えていた。
目立った負債はない。
しかし・・・。
ウチの前回の融資が焦げ付く寸前じゃないか。
まずいな。
キャッシュフローに目を通す。
ため息をついてそれを閉じた。
だめだ…じり貧だ。
このままだと持って余命は一年。
余命・・・。
敬愛する高槻教授の言葉を思い出した。
「銀行家は医者と同じだ。貸借から病理を読み取れ。誤診は許されない」

病気に例えるならここの死因はなんだ?
目立った負債は見あたらないのだ。
癌ではない。
その他、摘出すべき病理も見当たらない。

老衰・・・か。

いくら僕が金融のプロでも、原資のない場所の旗は振れない。最低限の販管費。ここをイジれないということは、どういうことか。粗利を、いや、売上高を上げるしかないということだ。俺に店舗運営はできない。お手上げだ。いや・・しかし・・まてよ。手元のコーヒーを手探りで引き寄せた。「精が出るな、お先」高田先輩が僕の肩を叩いて帰って行った。

長い夜が始まった。

翌朝。
「社長、あ…いえ、大統領、お話があります。今日の午後少しお時間をいただけないでしょうか?」

向かいで窓口の女の子がクスクスと笑っていた。
ちっ。

麻布家具に着くと、大統領が家具を拭いていた。窓ごしに僕はそれを黙って見守った。なんて丁寧に手入れをするのだろう。大統領はコシコシと家具の細かい溝を磨いている。よくよく見ればボロボロの店内とは裏腹に家具はピカピカじゃないか。この人はずっとこうして家具を磨いてきたのだろう。いや、きっとこの人だけじゃない。この一族は三代ずっとこうして家具を愛してきたのだ。親父の店を思い出した。仁成、家具はな、手入れさえしていれば、新品の時より100年後の方が美しくなるんだ。そう言えば親父もそんなこと言ってたな。

「おお、武田君待ってたよ」

大統領が先に僕に気づいた。

僕は徹夜で作った事業再建案をカバンから出そうとした。借り換えをベースにウチからつなぎ融資を引き出すための虎の巻だ。我ながらよくできたプランだった。うまくすればこの会社を、あと2年は延命できる。そうさ、頭脳なら誰にも負けないんだ、僕は。カバンに手を入れて書類とペンケースを取り出そうとした。

「今年いっぱいで閉めようと思うんだ。会社を畳んで引退しようと思ってるんだよ」

え?

不意の言葉にペンケースからシャーペンやら消しゴムが床に落ちた。慌ててかがんだ。拾いながら大統領の顔を見る。窓からの逆光で表情が見えなかった。

今なら人様に迷惑をかけないで会社を畳めるだろ、ましてやウチはこのビルを持っているから、売ればおたくの支払いも…。

明るく振舞ってはいるが、僕には大統領の悲しい気持ちや悔しい気持ちがよく分かった。人に迷惑をかけたくない。この人はそれだけを考えて、この決断をしたのだろう。いや、しかし…。普通だろ?こんなのは。会社が寿命を迎える。その立会いに一々動揺してたら銀行マンなんて務まるわけがない。そう思う自分もいた。

僕はペンケースを拾って立ち上がると、無表情に言った。

「そうでしたか。かしこまりました」
ー  本当にいいのかよ?

「では自社ビルの売却による一括返済ということで」
ー  あんなに丁寧に家具を手入れしてたじゃないか。

上司と相談の上、お話を進めさせていただきます」

麻布家具を出てタリーズに転がり込んだ。アイスコーヒーをボンヤリと飲んでいると前の席に高田先輩が現れた。

「先輩…」
「聞いたよ。大統領の話」
「そうらしいです」
「担当した途端に潰れたんじゃお前も災難だな」

高田さんが一息にアイスコーヒーを飲み干すのを見ながら、僕のキャリアか、なるほど、そういう考え方もあるのかとボンヤリと思った。

「ここで畳むか。しかしそれもいいのかもしれないな。まだ傷が浅いウチに決断するのも社長の仕事だよ。しかし涼ちゃんはまだ大学生だろ?どうす…」

その時後ろでガタッと椅子が鳴る音がして振り向いた。大統領の地味娘が立っていた。

高田先輩に進められて目の前に座り直した大統領の娘の涼子は真っ青な顔をしていた。辛いだろうけどいい判断だと思うよ…。と言って高田先輩が彼女をとりなしている。僕はジッと彼女を見つめた。どこかで見たことのある目だ。

ああ、そうか。

この子はお金を心配しているのではない。この子は…。

口のきけない涼子は僕らの目の前にノートを出すと、ペンを走らせた。

[会社を救う方法はないですか?]

高田先輩が眉根を寄せた。ねぇ涼子ちゃんいい判断だと思うって。これ以上は…というか、あの店は正直時代遅れというか、あの社長じゃ、というか…。なあ、と困って僕に同意を求めた。

涼子が頭を振った。激しく振った。目には大粒の涙が溢れていた。そう、この子は…。

僕はカバンの中の書類を握った。

[私がやります]

ということだよなぁ。
やっぱりなぁ。

見覚えあるはずだ。あの時の僕と同じ目なのだから。

僕は分かる、というか、僕だから分かる。

親が愛していたものを子供が愛さないわけがないんだ。

そしてふと思った。

中学生の僕にはできなかったことがこの子にはできるかもしれないのか?

目の前の風景がボヤけて、
畳の網目を数えて涙を落とした、

あの日。

継げなくてごめんなぁ。
親父ごめんなぁ。

そうつぶやいた小さい頃を思い出しながら、カバンの中で再建計画の書類を握る今の僕。

手が汗ばんでいる。

この時のためか?

僕が無数の不幸と戦ってきたのは、この時のためなんじゃないのか?

いや、待て。安っぽいセンチメンタルに流されるな。俺はこんなミジンコみたいな案件に引っかかってる場合じゃないんだ。東大まで出たんだぞ?僕の前には輝かしい道が…。僕はこのメガバンクの頭取に…なって…逆に日銀をアゴで使って、それでそれで…ああ、それでどうするんだっけ?

いくら輝かしい未来を想像しても、その未来は薄ボンヤリしていて、その代わりに、なぜだ? 昔の僕の家、僕が唯一幸せだった頃に見た実家のボロい家具屋しか頭に画像を結ばないんだ。

僕は大きく深呼吸した。
そして涼子さんの目を真正面から見据えて言った。

「涼子さん、あなた、御茶ノ水でしたっけ?家具屋をやったら今のキャリア全部飛びますよ?そういう覚悟はあるんですか?」

うつむいていた涼子がハッと上を向いた。そして慌ててうなづいた。うなづきながら筆記した。

[構いません]

「それは本心でしょうか?」

涼子が一瞬仁成と自分の間の空間を見つめた。そして、キッパリした顔で、ゆっくりと頭を縦に振った。

その瞬間、仁成はカバンに入れていた手を出した。バサッと書類をテーブルに投げ出した。もうどうにでもなれだ。

「再建計画です。よろしければ僕がご一緒にお手伝いします。いや…させてください」

な、なに言ってんだ。高田先輩が横でオロオロしていた。お前キャリアなのに…やることいっぱいなんだぞ…所長に相談しなきゃ、え?ダメなの?え?なんで?だって、こんなことに関わってたら俺まで監督不行き届きで、いや、こんなことってそういう意味じゃなくて、あわわわ。

「先輩、これはプライベートです。仕事以外の時間を割り振ります。そうです。こんなこと、ですよ。だからこそです。こんなことくらいはこの僕には朝飯前なんですよ。まあ、会社には内緒にしておいてください」

「内緒ってお前…」

「涼子さん、よろしいですか?」

涼子は完全に圧倒されてもう頷くしかなかった。

「よし!今から麻布家具の再建計画を始めます。僕の黄金の頭脳にかけてこの案件を必ず成功させてみせますよ!」

「黄金ってお前…もう言い過ぎ感すごいけど…なんか、カッコいいな」

高田先輩が泣き笑いみたいな顔で笑った。



☞ 来週につづく


0 件のコメント:

コメントを投稿