2015年2月22日日曜日

はるかかなたの 



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湘南電車に揺られている。
ああ。今は湘南電車とか言わないのかな。
茅ヶ崎に帰るのは久しぶりだ。
近くて遠い僕の故郷。
グリーン車には誰も乗っていない。
6月の物憂げな光だけが車内に充満している。

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なんだこれ?
僕らは完全に困惑していた。
その飲み物が無駄にキラキラしいて真っ青だったからだ。

ケンジ「だからブルーハワイだって」

午前中早々に海沿いの高校を抜け出した。
校舎の裏に駐車してた愛車(ジョグだのパッソルだのスーパータクト)に乗って、僕らは海水浴場そばの喫茶店でたむろしていた。

僕   15歳 (無免許)
ケンジ 16歳
淳   16歳

いつもの3人。
適当な話で盛り上がっていた。

茅ヶ崎・1984年

ケンジ「君たちこれがカクテルといものだ」

と得意顔で説明してくれる。どうせポパイとかホットドックプレスとかの受け売りなんだろうけど。ハンサムで(でも私服のセンスは最悪)いつも訳知り顔のケンジ。チビでおとなしくて足が不自由な淳。そして僕。

僕  「・・オシャレじゃねーか」
淳  「これ飲めばモテるの?
ケンジ「いーからお前らも頼めよ」
淳  「えー?僕、酒飲んだことない」
ケンジ「うそ」
僕  「で?ケンジこっちは?」
ケンジ「どれ?」
僕  「ソルティドッグとかいうやつ」
ケンジ「・・・・」
淳  「何味?
ケンジ「し、知らねーよ。頼んでみな」
僕  「よし淳、お前が飲め」
淳  「やだよ。ドッグって何だよ。
    犬とか出てきたら困るよ」
ケンジ「んなわけないじゃん」

6月の茅ヶ崎。
まだ静かな海が窓の外に輝いている。
夏になるとビーチは人ごみでごった返す。

淳  「・・・・・」
僕  「縁になんか付いてるぞ?」
ケンジ「砂糖だろ?
僕  「どうやって飲むんだよ?」
ケンジ「だから知らねーって言ってんだろ!!」

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「社長・・お電話が入っています」
「今忙しいって言ってくれ」
「急用とのことですが」
「誰だ?」
「それが・・ケンジと言えば分かると」
「ケンジ?」

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僕  「ユキちゃん?まじで?」
ケンジ「まじだ」
淳  「へ、へー」
   「あんな美人がケンジをねー」
ケンジ「うっせーよ」
僕  「で、どこにデートに行くかだ」

ケンジはマクレガーのしわしわのボタンダウンシャツの襟元を神経質に気にしながら、いつになく自信なさげな顔をしている。

僕  「よし、わかった。
    今晩デニーズで作戦会議な」
ケンジ「あー今晩はだめだ。俺バイト」
淳  「まだ鵠沼のマック?」
僕  「じゃあなおさら鵠沼だな」
ケンジ「お前らみえみえなんだっつの。
    あれはもう作らねーぞ」
僕  「はっはっは」

ケンジのバイトしているバーガーショップで目を盗んで作ってもらう肉の5枚重ねバーガー。僕らはそれをホームランバーガーと呼んでいた。

ケンジ「そろそろバレそうだからよ」

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夜、自宅の二階の窓からコッソリ庭に出る。スクーターを押して家が見えなくなってからエンジンをかけた。国道134号線はねっとりとした濃い潮の匂いに包まれている。時速70kmでかっとばす。

梅雨独特の水っぽい匂いだ。
また夏が来る。
心がうきうきしてきた。
今年は毎日海水浴場でナンパしよう。

バーガーショップではもう2人で熱い激論がかわされていた。

ケンジ「だーかーらー。
    ジャケットくらい着ないとか」
淳  「そりゃそうだよ。
    あの子はオリーブだから
    Do Familyとかだよ?」
ケンジ「お前ユキの事やたら詳しいな。
    つーと、やっぱりあれか?
    リーバイスとヘインズだな?」

やはり焦点はケンジのファッションらしい。リーバイスだったら501だよ?持ってる?淳がしつこくアドバイスしている。

僕  「制服でいいんじゃん?」
ケンジ「アホか。
    日曜日になんで制服着るん
    だよ。お前、彼女の影響で
    紡木たくとか読んでっから
    そういう発想になるんだな」
淳  「きゃっきゃっきゃっ」
僕  「はいはい。あれ?
    なんでケンジ座ってんの?
    バイトは?」
ケンジ「さっきやめた」
僕  「まじで?なんで?」
ケンジ「時給下がった」
僕  「まじで?いくら?」
ケンジ「500円」
僕  「まじで?深夜で?ひでーな」
淳  「ねーねー
    まじで?ってはやってるの?」
僕  「しらねー。最近のクセ」

まじで?って言葉すらまだない
バブル前夜の日本。
僕らの16歳の夏はこんな感じで始まった。

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横浜、山下公園
デート中のカップルが一組づつベンチに座っている。僕と淳は芝生に座ってケンジとユキちゃんを見張っていた。夕方。もうすぐ陽が落ちる。

ケンジ「キスするぜ?俺は」
僕  「できないだろ初デートだぞ」
淳  「できないとかじゃなくて、
    しない方がいいのでは?」
ケンジ「キスできたら何かおごれよ」
僕  「うまか棒でいい?」

というわけで、その証拠確認のために見張っているのだ。

僕  「待ちくたびれたな」
淳  「中華街で迷ってるのかな」

手持ち無沙汰だったから、AIWAのウォークマンにカセットを入れた。ヘヴィメタルが頭の中で爆発する。頭からイヤホンを外して、聞いてみ?と淳に放った。

僕  「やっぱ最高だなACTIONは!
              マイケルシェンカーよりいい」
淳  「えー?今時はマドンナだよ」
僕  「誰それ?」
淳  「ミュートマ見てないの?
              あとマイケルジャとかさ」
僕  「マイケルじゃ?」
淳  「ねー今度公開生放送行こうよ」
僕  「行く行くどこでやってんの?」
淳  「横浜SOGOの地下だって、
              伊藤政則見れるよ」
僕  「へー・・おっと。来たぞ」

ケンジとユキちゃんが公園に入ってきた。ケンジが緊張しているのが遠目からもわかる。なんかぎくしゃくした歩き方だ。ユキちゃんはスラッとした白いワンピース。ケンジは・・。

淳  「あーっ! リーバイス穿いてない」
僕  「あれは・・・ボブソンだな」
淳  「ああっ」
僕  「なんだよ今度はどうした?」
淳  「ベンチが空いてないっ」

淳の言った通り公園内の無数にあるベンチは無数のカップルで埋まっていた。

僕  「まずいな・・・」

5時半にはベンチに座る。
30分ほど話で盛り上がる。
6時に氷川丸の汽笛がなる。
ムード満点の中キスをする。
これがケンジ先生の計画だったのだ。

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僕  「淳」
淳  「何?」
僕  「ちょっとうんこ探してこい」
淳  「え?」
僕  「あと棒な」
淳  「まさか・・・」
僕  「無理矢理席を空けるしかない」
淳  「やだやだ。やだよっ。
    アラレちゃんかよ」
僕  「友情のためだ」

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結局、いくら探してもうんこは見つからなかった。

2人でカップル相手に席を譲ってもらえるようにしどろもどろ交渉してたら、ユキちゃんに見つかった。

ユキちゃん「あれー?何やってんの?」

私服のユキちゃんは本当に美人だった。色が白くて、髪がつやつやしてて。横浜の夕暮れの逆行の中でニッコリ笑ったユキちゃんはハッとするほどキレイで、本当に天使のようだった。

僕  「いや、別に・・なっ淳?」
淳  「うん、たまたまだよー」

淳がやたら真っ赤っかになってモジモジしながら言った。

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その夜。藤沢のディスコ「万華鏡」。
「Tonight is what it means to be young」が流れている。ケンジがユキちゃんとフロアで踊っているのを眺めながら、淳と僕は奥のシートでチークタイムを待っていた。

淳  「この曲・・」
僕  「ストリートオブファイアだな。
    ダイアンレイン主演の映画」
淳  「かっこいいよね」
僕  「なに?聞こえねー」

大音量のユーロビートで淳の声がかき消える。淳の隣に行って耳を寄せた。

淳 「ケンジはかっこいい。
   あの映画の主人公の
   マイケル・パレみたいだ」
僕 「そうかー?」
淳 「僕、好きなんだよずっと前から」
僕 「あー俺も好きだよ、裏ないし。
   ちと服がださいけど」
淳 「じゃなくてユキちゃんのこと」
僕 「は?」

驚いて横の淳を見た。
膝を掴んで淳はうつむいていた。
不自由な方の左足。

僕 「えっと・・。
   それは何ていうか・・あれだ」

淳が僕の視線に気づいて手を膝からパッと離して、へへへと笑った。

淳 「ねー将来なにになりたい?」
僕 「へ?俺?・・・
   ま、漫画家か小説家かな」
淳 「僕は何になれるのかな」
僕 「えーと。」
淳 「僕は未来が怖い」

若年性パーキンソン病。
これが淳の病名だった。

淳 「でもね」
僕 「お、おう」
淳 「言ってみる。告白してみる」
僕 「お、おう?
   え? ま、まじで?」

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保留の電話に出た。

「よお、ひさしぶりだな」
「ケンジ・・どんだけぶりだ?
 なんかあったのか?」

ケンジは地元の建築会社に勤めていたはずだ。ずっと音沙汰なかったのに・・。
いやな予感がした。

「淳か?」
「ああ」
「まさか・・」
「いやまだだ。しかしちょっとな・・。
 会って話したいんだ。
 次の日曜日に時間とれないかな?」
「わかった。行くよ」
「悪いな忙しいだろうけど」
「いやいいよ」
「しかし本当にお前が家具屋になるとはな」
「そうだな。お前らがそのきっかけを作ってくれた。感謝してるよ」
「そのへんの話はまた日曜日な。えーと場所は・・」
「デニーズか?」
「お前本当に茅ヶ崎に帰ってないんだな
 あそこはとっくになくなってるよ」

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久しぶりの茅ヶ崎駅のホームは水の匂いがした。改札を降りて南口を出た。タクシーを拾おうとして考え直した。歩いて行こう。雄三通りを海へ向かった。スーツのジャケットを脱いだ。この街には似合わない。

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大きな入道雲と青空の下で僕らは汗だくになっていた。浜見平団地の大型廃品置き場。僕の目当てはソファだった。

ケンジ「ホントにここか?」
僕  「間違いない。
    昨日運び込まれるの見たんだ」
淳  「なんでソファが必要なの?」
僕  「自分の部屋に彼女来る。
    何か飲む。おしゃべりする。
    そのあと何する?淳君?」
淳  「マンガ読む?」
ケンジ「はっはっは。子供か?
    コロコロコミックか?」
淳  「なんだよう」
僕  「布団出すわけいかないよな」
ケンジ「なるほど。頭いいな」
淳  「あーなんか楽しいね」
ケンジ「あー?」

思うんだけどさ・・って
淳が空を見上げて言った。

淳  「人生をただ楽しむ、それ以外に
    必要なものなんてあるのかな


不純な動機こそが僕らのエネルギーだった。田舎の海沿いに住む高校生のやることなんてたかが知れてる。海でサーフィンして音楽聞いて家帰って彼女と遊ぶ。人生をただ楽しむ。それ以外に必要なものなんてあるのかって?・・あるわけないだろ。純粋にそう言い切れた季節だ。でも大人になるといろいろとあって、なかなかそういうわけには行かなくなってくる。それはしょうがないことだ。

たわいない冗談を言い合いがら
ボロボロのソファを運ぶ僕ら。
その上に、
神さまからの祝福のように、
天気雨が降り注ぐ。
遠くに虹がかかる。

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家具屋になったキッカケって何ですか?40を過ぎてからそういう質問を受けることが多くなった。いつもあたりさわりないことを答えるけど。そういう時はいつも、僕は頭の中であの光景を思い出している。三人で運ぶソファと天気雨と遠くの虹。

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ケンジ  「というわけでさ」
ユキちゃん「そんなこと言われても」
ケンジ  「だよな」
ユキちゃん「どうして欲しいの?」
ケンジ  「うーん」
ユキちゃん「わかった。
      私、淳君の話聞いて、
      ちゃんと考えてみる」
ケンジ  「え・・?」
ユキちゃん「その上でケンジ君を選び直
      す。私が淳君の立場だった
      らそうして欲しいって思う
      から」

これは後日ケンジから聞いた話。
ケンジはこの時生まれてはじめて
恋に落ちた。

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ケンジ「なー」
僕  「ん?」
ケンジ「キスするより大事なことって
    ・・・あるんだな」
僕  「はいはい。お幸せに」

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シークレット・ミニビーチ。国道134号線を横切って防砂林の松林を抜けた。車の入れない、地元の人間しか知らない小さなビーチだ。ユキちゃんは、どこにもつながらない作りかけの舗装道路の上に立っている。遠く伊豆半島と箱根山の間くらいに陽が落ちようとしていた。

僕  「かっこつけろよ、淳」
ケンジ「淳・・何て言うか・・俺・・」

淳はモゴモゴ言っているケンジを睨みつけた。真っ青な顔をして。少し震えている。そのまま動けないでいる。

僕  「怖いもんなんてねーよ。
    俺たちにはよ。
    プライド失くすこと意外はな」
淳  「それいつもの口癖だね」
僕  「お、おう。こう言ってると
    強くなれる気がすんだよ」

淳の顔がキッと引き締まった。そして、ふっと歩き出した。足をひきずって歩く淳がすごく大きく見えた。

ユキちゃんが振り向いた。夕陽のシルエットが2人を包んだ。淳は頭をせわしなくかきながら、身振り手振りで、おそらく彼にとってこの世で一番大事な想いを伝えていた。

ケンジ「なあ・・」
僕  「ああ。かっこいいやつだよ」
ケンジ「おれたち変わんねーよな」
僕  「おう。変わんねーよ」
ケンジ「先に行ってようぜ」

2人を置いて歩き始めた。
今日は夏祭りだ。
このあと4人で行くことになっていた。
これからもきっと笑って話せる。
俺たちは大丈夫だ。

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約束の場所。シークレット・ミニビーチ。くたびれたネズミ色のスーツのケンジが立っていた。そしてその横に車いす。何重にも毛布にくるまれた淳がいた。老けてその上ひどい顔色だったけど。間違いなく淳だった。クリッとした目が微かに揺れた。

「ケンジ、ひさしぶりだな」
「ああ。相当ぶりだ」

しゃがんで淳の顔を覗き込む。

「淳?」
「やあ・・・久しぶりだね。ごめんね・・仕事忙しいのに。それと・・・すごく活躍してるみたいじゃないか」

とぎれとぎれの細い声。
ケンジが右手で両目を覆っている。

「淳、なんていうか、その・・連絡もしないで・・俺」
「そうだよ。ひどいよ。今日は僕、一言だけ言いたくてさ」
「ああ。なんでも言ってくれ」
「青山とかミラノもいいけど、もう一度茅ヶ崎にお店を作ってくれ。ここ以外に僕らにとって大事な場所があるはずないだろう?」
「ああ、ああ。わかった。約束する」
「あとね、今の君の仕事のきっかけは僕たちが作ったんだぞ。憶えてるかい?ソファ運んだじゃん。それを忘れないで欲しいんだよ」
「もちろんだよ。わかってる」

「僕はもうすぐ行く」

淳はあの時と同じ、キッとした表情でそう言った。伊豆半島と箱根山の間に陽が落ちようとしている。大きな入道雲が薄むらさき色に染まっていて、アスファルトが足もとでまだ熱を持っていて・・・。

「淳、淳。行くとか言うなよ。また遊ぼうぜ? 俺らよ、すっかりおっさんになっちまったけどよ、また、ナンパとかしようぜ? つーか俺もう結婚してんだけどな、でも全然つきあうぜ?な?うんこ探せとかもう言わねーしよ。だから行くとか言うなよー。おい、聞いてんのかよ! ! 頼むからよーー」

堰を切ったように泣き出してしまった。ボロボロと毛布に涙が落ちた。淳が優しい顔でそんな僕を見ている。ケンジは遠く、海の向こうを見ている。肩が小刻みに揺れている。やがて淳が口を開いた。

「それとね、お礼を言いたい」
「え?」
「怖いもんなんてねえ。プライドを失くす以外はよー」
「・・・・」
「僕は君のその言葉でここまでがんばれた」
「淳・・」
「本当にありがとう」

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はしゃいだ僕ら。金魚すくって、射的やって、よその高校の奴らとちょっと揉めて。楽しいな人生ってのは。僕がそう言うとケンジがなんかちゃかしたことを言った。次はどうする?・・って今なら何やっても楽しいって自信があるんだ。

ケンジ「やっぱりあれだろリンゴ館!!」
僕  「リンゴ飴だろ?」
淳  「ケンジ漢字読めないからね」
ケンジ「うっせーな淳は。
    ねるねるねるねでも食ってろ」

ユキちゃんが淳とケンジの間で笑っている。

僕  「明後日は花火大会だろ」
ケンジ「だなー」
淳  「楽しみだね」

ちょっと間を置いて淳が言った。

淳  「ねー、前も言ったけどさ、
                野田はどう思う?」
僕  「何の話だっけ?」
淳  「人生を・・・」

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人生をただ楽しむ。それ以外に必要なことなんてこの世の中にあるのか?

そうだね。
淳・・。

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ないよ。
あるわけないよ。

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end





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