2014年3月30日日曜日

退廃のカジノ




春の道頓堀。

小雨降る夜の雑踏をかき分けてフラフラと歩く男。ままならないことばかりだ。人生なんてやめちまうか。酔った頭でそんなことを思っている。どん。と人にぶつかる。20代の女性。蔑むような顔。心が竦む。頭を下げてすみませんと言う自分の声を聞く。沸き上がる感情。怒りと羞恥がブレンドされた感情。20代最後の日は最低の日になったな。手すりにもたれて昏い川を見下ろす。ここから落ちても死ねないよね。というかそんな勇気ないよ。風景の色さえ抜けて見える。灰色の街と人生。ため息をついたその時、ふと、路地の奥に目が止まった。薄汚れたビルに縦看板のネオンの光。AREAと書いてある。いや。その前に・・。こんな所に路地なんてあったっけ?男は吸い込まれるようにその路地に吸い込まれて行く。

「こんばんは、ムシュー」黒いダブルのロングコートを着たドアマンにうやうやしく声をかけられた。二列に並んだ大きな金ボタンには銀杏の葉のようなマーク。「こんな店あったっけ?」と尋ねてみた。ドアマンは微笑でその質問に答えた「はい、ずっと昔からここにございます」扉の向こうから楽しそうな笑い声が漏れ聞こえる。気になった。もう少し飲んで帰るかな・・そう思った瞬間、ドアマンはスッと背筋を伸ばして「かしこまりました。いらっしゃいませ」と言って大きな樫のドアを開けた。「え、いや・・え?」

フルボリュームの管弦楽と享楽の熱気が男を叩いた。大きな広間にギュウギュウと集まったたくさんの人々。その頭の向こうに、白と黒の市松に塗り分けられた大きなステージが見えた。その右と左の袖から美しい女性や男性がぞくぞくと現れては、客席に突き出たキャットウォークの先端でクルリと向きを変えて、また袖へ戻って行く。歓声のうなり声をあげる男客。嬌声をふりしぼる女客。みな一様に頬を火照らせ、潤んだ瞳孔をステージに向けていた。

「カクテルをどうぞ」後ろから声をかけられた。びっくりして振り向いた。可愛らしい女の子が立っていた。小さな顔、小さい鼻、薄く黄色に染めたショートヘア。整った口から小さな前歯が見えた。真鍮のトレイに見たことのない色のカクテルが乗っている。手をのばしかけて、財布の中身を思い出し、我に返った。「あ、すみません。僕、あんまり手持ちが無くて・・。もう出ます」背中を丸めてきた方向へ帰ろうとした。「ああ」女の子は胸の前で手を叩いた。「初めての方ですね」ニッコリと笑って「ここからはもう帰れないんです」と言った。男は急にものすごい恐怖を感じた。

樫の大扉を叩いた。何度も何度も力の限り。分厚い木の塊はビクともしなかった。携帯を取り出した。ディスプレーはブラックアウトしていた。大声をあげた。周りの誰もこちらを見ようとしなかった。何事もないように相変わらずステージに向けて嬌声をあげている。疲れ果て扉に背をもたせコンクリの床に座り込んだ男に、先ほどの黄色い髪の女の子が困ったような顔をして近づいてきた。「ここはどこだ?」「カジノでございます」「カジノ?」まわりを見回した。「二階の回廊の奥がカジノになっております」二階を見上げた。真鍮の格子柵のついた回廊が見える。ライオンのレリーフが飾って吊られていた。「僕を帰してくれ」女の子は静かに首を振って、逆に尋ねてきた「帰る意味があるのですか?」男は呆然として女の子を見上げた。「あなたがここを望んだのです」

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忍び込んだ廃墟のビル。

私は割れたガラスをパキパキと踏んで奥に進んだ。よく見るとカクテルグラスの破片が混じっているようだ。大きな樫の扉の向こうの広間。割れたガラス窓から差し込んでいる光が、ホコリを筋のように映している。白と黒を市松に貼った床のリノリウムが剥がれて朽ちていた。奥の部屋。大きなブラックジャックテーブルの残骸の上に、見事な油絵がホコリを被って掛けてあった。このカジノの全盛期を描いた絵のようだ。キャットウォークを舞う無数のモデル。歓声をあげる箱一杯の客たち。奥のドアには葉巻を咥えた男たちが賭け事に興じている。みな楽しそうにこの世の享楽に耽っていた。この絵は・・いつの時代のものだろう。日本ではないようにも見える。そこでふと、私は絵の隅に目を奪われた。大きなドアにもたれて座り込んでいる(一人だけ悲しそうな)その男だけが変に異質だった。力の抜けた手足、傾げた首。・・・しかし。よくよく見れば、悲しそうなのはその姿だけだった。小さくしか描き分けられていないが、口元にあるかないかの微笑が浮かんでいるように見えるからだ。


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解説

このショートは2009年にAREA 大阪店を出店した時に書いたものです(今回多少再編集しました)。僕は空間のデザインを行う前にこのようなストーリーを書きます。そこから初めて空間を創造していくのです。めんどくさく思えるかもしれませんが、そうして出来上がった空間は、取手などの細部にいたるまで揺るぎのない魂が宿ります。大阪店のタイトルは「退廃のカジノ」でした。興味のある方はぜひ大阪店に見に行って下さい。




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