渋谷のスクランブルを見下ろしながら、コーヒーを飲んでいる。
イヤホンからはキースリチャーズのギター。相変わらず独特で気まぐれなリフを刻んでいる。
雑踏はとどまることがない。
みんな、どこから来てどこに行くんだろう。
まあ、どこからか来てどこかへ行くんだろうけどさ。
上から見るとちょっとした予定調和のように見えるな。
演劇みたいに、雑踏の一人一人に役が与えられてるようだ。
昨日と同じ今日。
今日と同じ明日。
でもちょっとづつ違うんだ。
じゃないとストーリーにならないだろ?
人生なんだからさ。
そんなことをぼうっと考えている。
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「毎晩毎晩違うのが最高のロックンロールバンドなんだ。波があるに決まってるだろ。そうじゃないと味気のないただの直線になっちまう。心電図みたいなもんだ。わかるかい?心電図。直線だっていうのは、つまり死んでるってことなんだよ」
これはキースリチャーズの名言。
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カバンから出した、よれよれのスケッチブックは、さっきから開けっ放しのまま、白いカンバス(可能性とかっていう悪意すら感じるほどの白さ)を晒している。微かにプレッシャーを感じている。今日は秋に発表するソファのラフデザインに手をつけなきゃいけない。
テーマは決まっている。
でも、手が進まない。
コーヒーをまた一口飲んだ。
2Bの鉛筆を手の中でくるくるまわす。
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まな板の上に、なんとまあ大きな桃がのっかっておることでしょう。
「や、りっぱな桃だ。日本一の桃だ。」
おじいさんがびっくりして言いました。
そして、片手にもう、ほうちょうを持っているおばあさんをとめました。
「待て、待て。すぐ食べるのは惜しいじゃないか。」
それから、どのくらい長く、ふたりは桃をながめたでありましょうか。つまり、桃をながめてはごはんを食べ、ごはんを食べては桃をながめました。
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「人生の中心に居るソファ」
それが今回のテーマだ。
人生とは何だ。そう考えて、僕はそれを5つの切り口に分けてみた。
「愛、夢、憧れ、挫折、再生」
大仰が過ぎる。
そんなデザインできっこないだろ。
自分に毒づく。
鉛筆をポイッと放る。
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夢。
僕には夢がある。
日本のインテリアブランドが世界の中心で大活躍する姿を見ることだ。いや、変に謙遜するのはやめよう。僕らのブランドが世界に大歓迎されることだ。
愛。
僕はこれまで、どれだけの人と出会ってきたのだろう。彼らはみなそれぞれの想いや情熱を抱いて、僕の部屋のドアをノックした。戸口の前で、少し待って不在を知って帰る人。しばらく部屋にいたけど、ちょっと居心地が悪くなって帰った人。先客に遠慮をして帰った人や来客に遠慮して帰った人。
そして、
今ここにいる人。
今もここにいる人。
大事な人。
大事な仲間。
間違いない、僕はその全ての人を程度の差こそあれ、
愛している。
憧れ。
I+Stylers、Time & Style、Idee。
Queen、The Rolling Stones、David Bowie。
村上春樹、山川健一、Robert A. Heinlein。
熱にうなされ続けた。
そうなりたかったけど、
ならなかった。
ある日、
そうなりたいのか?と心に聞いたら、ほんの少しだけ彼らより自分の方が好きだということに気づいてしまったからだ。
挫折。
僕は28歳の時に仕事で大きな挫折をしている。
大洗海岸に営業車を止めて、何時間も泣いた。
詳しくは書けないけど。
初めて自分が世界の中心ではないと知った日だった。
やがて、夕方になった砂浜に出て、僕は鬼になろうと思った。
仕事に狂ってしまおうと誓った。
そして今の僕がある。
良いにつけ、悪いにつけだけど。
再生。
これはいまだ、わからない。
でもイメージはある。
葉山から逗子に抜ける小坪トンネル。
車で走っていると、昏い道の先にポツンと光が灯り、急にワッと海が広がる。江ノ島が見えて、その先には家がある。
またはチェーホフのワーニャ伯父さんのラスト。
「一息つけるでしょう。天使の声が聞こえるでしょう・・」
または魔女の宅急便のコピー
「おちこんだりもしたけれど、私は元気です」
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カフェの音。
さやさやとさんざめくたくさんの会話たち。
銀食器がふれあう音。
それらが少しだけ遠く聞こえる。
今日の朝出掛けに読んだ桃太郎の話を、ふと思い出した。昭和52年に岩波から刊行された、桃太郎のオリジナル(?)だ。子供用の絵本では端折られている部分がやけに詳しく描いてある。
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「それから、どのくらい長く、ふたりは桃をながめたでありましょうか。つまり、桃をながめてはごはんを食べ、ごはんを食べては桃をながめました。」
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おじいさんとおばあさんは、なんでまた、そんなにも長い間をかけて桃をながめ続けたんだろう。すぐに食べずに大事に大事に見つめていたって、そんなくだり初めて聞いたけど。
メッセージなのではないだろうか?考えれば考えるほどそんな気がしてくる。
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鉛筆をしまった。
あきらめたよ。今日はもう描けない。無いものを無理に引き出してはいけない。無いものを引っ張りだしたら、「無」が生まれてしまう。そうしたら秋の新作が「無の中心に居るソファ」になってしまう。
そんなの・・なんか怖い。
椅子に掛けたジャケットを掴んで立ち上がった瞬間。
「あれ?」
ブルッと震えた。
「彼らは・・・中身が無いからながめ続けたのか?」
中に桃太郎が居なかったから、ながめたのか?
いや。
ながめたからこそ、桃太郎は桃に入ったのか?
桃太郎がメタファなのだとしたら、眺めるという行為は、彼らが彼らの人生に希求して止まなかったもの、つまり、愛であり、夢であり、憧れの転嫁だったのではないだろうか。そしてそこには、挫折という現象が大きく影響を及ぼしていて、だからこそ、再生への願いに満ちあふれている。
それなら桃太郎は・・・。
「人生そのものだ」
そうだよ。
人が産み出すものには、必ずその人の人生が詰まっているんだ。
なるほど。僕は心の中でつぶやいて、渋谷・・予定調和の雑踏に飛び込んだ。今ならソファの線が描けそうな気がした。でも、もう外に出ちゃったしな。ま、明日でもいいか。彼らのように、もう少しだけ眺めてみよう。フッと・・本当にだいじな何かが入ってくれるかもしれないから。
耳元。
キースが相変わらず独特のリフを刻んでいる。そこかしこに春の陽だまりが暖かく咲いていた。僕はなにかちょっと楽しい気持ちになって、キースに合わせて口笛を吹いた。
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