2013年9月14日土曜日

木の心。そしてテーブルの力。


秋になると思い出すエピソードがある。
今も僕らの心に残る実話だ。

15年ほど前、僕らがまだ雇われで、
アブソリュートに駆け出しだった頃の話。

「店長大変です!!」

暑い夏の終わりかけのある日、僕の所に息をきらして駆け寄ってきた新人の女の子、ナツが言った。「へ、変な人がいますっ」「ん?」「ウォールナットの一枚板の前で動かない人がいるんです」「動かない?その板を気に入ったんじゃないの?」「ちょっと違う感じで・・」「違う?なにが?」見に行った。柱の影からそっと覗く。その男は3mの一枚板(厳密に言うとブックマッチ)の前で両手を板に突いてジッとたたずんでいる。「あの状態でもう30分近く動かないんですぅ」「30分?」たじろいだ。よく見ると確かに異質なたたずまいだ。「声かけてこいよ、ナツ」「やです」「じゃーイクちゃん?」「僕もちょと・・」「俺かよ?」

ドキドキしながら近づいた。「あのー」声をかける。男が振り向いた。わー、すごくイケメンだー。サングラスをかけた男は僕の方を向いてニッコリと笑った。「この板はウオールナットという木で・・」ご説明を始める。その男の人は柔和な笑みを口に留めて僕の説明を聞いてくれた。「確かに3mですから入れるお部屋を選ぶと思いますが・・」ひとしきり話したあとで沈黙が訪れる。秋の日差しがテーブルと彼に降り注いでいて、ちょっと時間が止まった感じがした。

「どうでした?」とナツ「いや何か・・何も話さなかった。ふぃっと帰っちゃった」「殺し屋ですよ、きっと」「優しそうな感じだったけど」とイクちゃん。「そうだな。ちょっと不思議な人だった」「芸能人じゃないですか?」「うーん見覚えはないけどな。まあ、もういいよ。仕事しよう」

一週間後・・。

「店長ーーー!!」またナツが飛んできた。やかましいな。今度はなんだよ?
「ふ、ふ、増えてますーー」何が?何が増えた?

例の3mの一枚板に2人が手を突いている。
しかも2人とも今度は両手を突いていた。

「・・・増えてるな」「はい」「ずっとか?」「ずっとです」「・・まずいな」「はい。まずいです、というより怖いです」「何かを吸い取ってるように見えるぞ」「うわーうわー」「2人揃ってサングラスって・・」「店長お願いします」ナツもイクちゃんも青森君も僕の背中を押す。「分かった行ってくる」「殺されないでね」後ろでナツのか細い声が聞こえた。

僕が近づくと男がニッコリと笑った。女性も同じように・・むむっ女性も美形だ。美男美女は僕に勧められて椅子に座り、初めて口を開いた。

つまり・・2人とも目が見えないのだそうだ。遺伝性の特殊な病気で、2人はそのリハビリ施設で出会った。人生を絶望するには2人ともまだ若く、さんざん悩んだ末、ある仕事を立ち上げることにした。同じように目の障害を持つ人たちに仕事を斡旋する事業だ。立ち上げるまでにさまざまなハードルがあったという。しかし彼らはそのことごとくに打ち克ち、この秋、近くに事務所をオープンさせるのだという。そしてその事務所のデスクを探していた。

「たまたま僕がこのお店に通りがかって、このテーブルに出会ったんです。手を置いたら本当に暖かくて・・ちょっと動けなくなるくらい。ご説明を聞いて、長く生きてきた本当の木だからこその温もりなんだなって。それで相方を連れてきたんです」女性が僕の方を向いて照れたように笑った(視線は少しずれていた)。「ステキです。辛いことが全部何でもないことのように思えます。このデスクに手を置いていると・・」「でも98万はどうしても出せません。もう僕らにはほとんどお金が残ってなくて」「安くしてもらおうって2人で話してたんですけど・・でもそれはこの木に悪いような気がして」ね?と言って女性が男に笑いかけた。男も女性に微笑んだ。

「・・というわけだった」僕は2人にお茶を出して、ひとまずバックヤードに戻ってきていた。ナツもイクちゃんもジーンとしている。「差し上げましょう」涙目でナツが言った。「んなわけいくか」「社長に電話して相談しましょう」とイクちゃん。「わかった。そうしよう」

社長の答えはNOだった。他のお客様に不公平とかそんな理由だっと思う。僕はガックリして2人のもとに戻った。それを伝えようとすると、男が遮るように言った。「実は、僕ら結婚できないんです」「へ?」「この病気は遺伝の可能性もあるし、そもそも目の見えない者2人の結婚は制約が多すぎて、基本的にタブーなんです」「はぁ・・」「それで、今2人で話してたんですけど、結婚費用だと思ってこれを・・その・・いただこうかって」「え・・?」ちょっと一瞬頭が回らなかった。理解したとたんに泣きそうになった。「でも、今は本当にお金がなくて・・。4ヶ月後に買いにきます」「お取り置きはできますか?」「も・もちろんです」「じゃあ、12月24日に届けてください」「クリスマス・・ですか?」「はい。2人から2人へのクリスマスプレゼントにします」

そして、
毎日の忙しさに、そんなこんなをすっかり忘れていた1年後。
同じように
暖かい三連休の秋の日。
ナツが涙ぐんで持ってきた一通の手紙。

同封されていた写真。

光の差し込む明るい事務所。
その間取りにはちょっと大きすぎるテーブル。
小さなクリスマスツリーの横で、
かしこまってファインダーを見る2人。

同封されていた手紙

先日はお世話になりました。
僕らの仕事は順調です
あと、報告です

私たちこの秋に結婚しました。






















2013年9月10日火曜日

岬の向こう

「野田君、少し昔話をしてもいいかな?」

その老人は介護用のベッドに横たわり、少し咳込みながら静かに言った。彼の療養所兼自宅は逗子の海が見える高台にあって、窓の外には軍艦のような入道雲と出港していく船が小さく見えた。


「店舗を増やして大型化を目指すか、今ある数店舗を充実させていくか」

当時、僕が悩み抜いていたその問いのアドバイスを、ある人物に求めてご自宅へお伺いした、ひどく暑かった夏の日の話だ。

老人は・・・。
彼方遠くを見つめながらひっそりと話し始めた。


「遠い昔の話だ。小さな高速艇に乗っていた時代だな。私たちはまだ若く、世界は希望と混沌に満ちていて、一寸先さえ見ようとしなかった。たった数名のお客様を海岸から岬の先に渡すだけの仕事だったが、私たちの仕事ぶりの評判は非常に高く、いつも順番待ちの状態だった。そんなある日仲間の一人が言った。

「なぁ、あの水平線の向こうには何があるのかな。楽しいことが待ってる気がするんだよ。で、提案だけど、岬の向こうまで行こうぜ、商売を広げる時が来たんだよ」

岬の向こうは海流も悪いし岩場も多い。分かってはいたが、血気盛んな私たちは何の計算もなく仕事の枠を広げた。岬の先を目指したんだな。

私たちは、すぐに自分たちの思慮の浅さを痛感した。うまく行く事もあったが、ほとんどは挫折の連続だった。お客様へのサービスもおざなりになって、自分たちの名誉を維持するためにだけ血の汗を流しているような気さえしてきた。一番こたえたのは仲間数人の離散だ。彼らは言った。「俺たちは岬の仕事に戻るよ」私を含めた残された仲間は毎晩散々語り合った。なぜ、こんなに辛いのか、そして・・・

『なぜ、こうまでして先に進まなければならないのか』

より大きな商売にして、より多くのお客様に快適を届けるため・・。しかし、そんな美辞麗句は空虚に響いた。誰もが思っていた。そんな上滑りな理由なんて本当は嘘っぱちだって。結局私たちはさっぱり分からなかったんだ。夜が明けて、それでも歯を食いしばって今日も仕事に出かけて行くその理由が。

そして、幾年かの年月が流れた。私たちの事業はまだ奇跡的に自分の脚で立っていた。会社の船は大きくなり、数も増えていた。政治的な仕事も増え、噂を聞きつけて、いろんな人たちが集まって来た。誰もが私たちを指して成功者だと言った。当然生活は安定してくる。でもその代わり、私たちの筋力は少し衰え、髪に白髪も混じってきた。私たちはいろんな人々に利用され、利用していった。岬の頃の昔話が増えて来た。「あいつらどうしてるかな?」「あんなお客さんいたよな」結局みんな思っていたんだ。どうしてあの頃の充実感がないんだろうって。辛い。そしてこれは永遠に続くんだろうなって。事業はもうここまででいいじゃないか。胸を張ろう。私たちは充分良くやったさ。

しかし、ある日。私たちは突然発見する。若い頃の自分たちに良く似た目を持っている若者たちが身内に居る事を。荒々しく舳先に立ち、ひたすら一心に、未来へ目を向ける若者たち。彼らはうつむいた私たちの見えないところで、しっかりと育っていたのだ。長い年月の間、もうずっと長い間、語らうべき話題なんてなかったのに、私たちは再び彼らの事を熱心に話し始めた。語りながらなぜか涙が止まらなかった。まだ稚拙で未熟な若者たちは、放射する情熱というただ一点において私たちを肯定し救ったのだ。私たちはもう一度水平線の向こうに目を向け始めた。なあ、まだ行けるよな?今度はあいつらのために・・。仲間の一人が顔をくしゃくしゃにしながら言った。みんながいっせいに頷いた。互いの手を握り合った。大丈夫さ。まだまだ行けるぞ。まだ見ぬ水平線の向こうへ!!

さらに長い日々が流れた。今や私たちの世界は大きく広がった。だがもう見ての通り一人で立ち上がることもできないし、仲間の数人はもういない。でもな、この一生という長い年月で経験してきた挫折の一つ一つでさえ、幸せという形に代わって今この心にある。写真なんていらない。私の胸にはっきりと残っているから。そして、今なら分かる。私たちを前に進めた正体が。『なぜ、こうまでして先に進まなければならないのか』の答えが。

「なぁ、あの水平線の向こうには何があるのかな。楽しいことが待ってる気がするんだよ。」

「・・そうだ。実に、そのたった一言の言葉が長い間私たち苦しめ、前へと進めた。そのたった一言の言葉が私たちの夢となり、長い長い旅路の羅針盤となったんだ。君の質問の答えになるかは分からんが、君たちは君たちの見たいものを見に行けばいいんだよ。そして常に決して考え過ぎない事だ。正しいかどうかなんて理屈はまったく関係ない。ただ好奇心と情熱に従えばいいんだよ」

今でも夏になると、
僕は彼の話を時々思い出しては、胸が詰まるような気持ちになる。
ホームで通り過ぎる電車を見送ったり。

蜃気楼の坂道を自転車で登ったりしている時に。