2013年12月4日水曜日

家具屋とインテリアショップ


日本には家具屋(販売店)さんが一万店(弱)もある。

でも、僕はこのカテゴリーは二つに大別できると思っている。

インテリアショップと家具屋だ。

簡単に言えば、

家具屋は家具メーカーが作ったものを仕入れて販売する。
インテリアショップは、
自ら家具を設計デザインし
家具メーカーに作ってもらって、
自らが定価を設定し販売する。

もちろん、そのハイブリッドのショップも存在するが、
要素としてはその二つだろう。

この二者はマーケットの捉え方が根本的に大きく違う。

家具屋はマーケットを見据えて売れるものを仕入れる。
インテリアショップは自分が作りたいものを作る。

家具屋は偏差値50を狙い、
インテリアショップは高偏差値商品を作ることに喜びを感じる。

つまり、

家具屋は売上高が上がり、売り場面積、または組織の規模が大きくなる。
インテリアショップは時代のエポックとなり得るが、業態は小さいままだ。

ちなみに僕の会社はインテリアショップでありたいと思っている。






2013年9月14日土曜日

木の心。そしてテーブルの力。


秋になると思い出すエピソードがある。
今も僕らの心に残る実話だ。

15年ほど前、僕らがまだ雇われで、
アブソリュートに駆け出しだった頃の話。

「店長大変です!!」

暑い夏の終わりかけのある日、僕の所に息をきらして駆け寄ってきた新人の女の子、ナツが言った。「へ、変な人がいますっ」「ん?」「ウォールナットの一枚板の前で動かない人がいるんです」「動かない?その板を気に入ったんじゃないの?」「ちょっと違う感じで・・」「違う?なにが?」見に行った。柱の影からそっと覗く。その男は3mの一枚板(厳密に言うとブックマッチ)の前で両手を板に突いてジッとたたずんでいる。「あの状態でもう30分近く動かないんですぅ」「30分?」たじろいだ。よく見ると確かに異質なたたずまいだ。「声かけてこいよ、ナツ」「やです」「じゃーイクちゃん?」「僕もちょと・・」「俺かよ?」

ドキドキしながら近づいた。「あのー」声をかける。男が振り向いた。わー、すごくイケメンだー。サングラスをかけた男は僕の方を向いてニッコリと笑った。「この板はウオールナットという木で・・」ご説明を始める。その男の人は柔和な笑みを口に留めて僕の説明を聞いてくれた。「確かに3mですから入れるお部屋を選ぶと思いますが・・」ひとしきり話したあとで沈黙が訪れる。秋の日差しがテーブルと彼に降り注いでいて、ちょっと時間が止まった感じがした。

「どうでした?」とナツ「いや何か・・何も話さなかった。ふぃっと帰っちゃった」「殺し屋ですよ、きっと」「優しそうな感じだったけど」とイクちゃん。「そうだな。ちょっと不思議な人だった」「芸能人じゃないですか?」「うーん見覚えはないけどな。まあ、もういいよ。仕事しよう」

一週間後・・。

「店長ーーー!!」またナツが飛んできた。やかましいな。今度はなんだよ?
「ふ、ふ、増えてますーー」何が?何が増えた?

例の3mの一枚板に2人が手を突いている。
しかも2人とも今度は両手を突いていた。

「・・・増えてるな」「はい」「ずっとか?」「ずっとです」「・・まずいな」「はい。まずいです、というより怖いです」「何かを吸い取ってるように見えるぞ」「うわーうわー」「2人揃ってサングラスって・・」「店長お願いします」ナツもイクちゃんも青森君も僕の背中を押す。「分かった行ってくる」「殺されないでね」後ろでナツのか細い声が聞こえた。

僕が近づくと男がニッコリと笑った。女性も同じように・・むむっ女性も美形だ。美男美女は僕に勧められて椅子に座り、初めて口を開いた。

つまり・・2人とも目が見えないのだそうだ。遺伝性の特殊な病気で、2人はそのリハビリ施設で出会った。人生を絶望するには2人ともまだ若く、さんざん悩んだ末、ある仕事を立ち上げることにした。同じように目の障害を持つ人たちに仕事を斡旋する事業だ。立ち上げるまでにさまざまなハードルがあったという。しかし彼らはそのことごとくに打ち克ち、この秋、近くに事務所をオープンさせるのだという。そしてその事務所のデスクを探していた。

「たまたま僕がこのお店に通りがかって、このテーブルに出会ったんです。手を置いたら本当に暖かくて・・ちょっと動けなくなるくらい。ご説明を聞いて、長く生きてきた本当の木だからこその温もりなんだなって。それで相方を連れてきたんです」女性が僕の方を向いて照れたように笑った(視線は少しずれていた)。「ステキです。辛いことが全部何でもないことのように思えます。このデスクに手を置いていると・・」「でも98万はどうしても出せません。もう僕らにはほとんどお金が残ってなくて」「安くしてもらおうって2人で話してたんですけど・・でもそれはこの木に悪いような気がして」ね?と言って女性が男に笑いかけた。男も女性に微笑んだ。

「・・というわけだった」僕は2人にお茶を出して、ひとまずバックヤードに戻ってきていた。ナツもイクちゃんもジーンとしている。「差し上げましょう」涙目でナツが言った。「んなわけいくか」「社長に電話して相談しましょう」とイクちゃん。「わかった。そうしよう」

社長の答えはNOだった。他のお客様に不公平とかそんな理由だっと思う。僕はガックリして2人のもとに戻った。それを伝えようとすると、男が遮るように言った。「実は、僕ら結婚できないんです」「へ?」「この病気は遺伝の可能性もあるし、そもそも目の見えない者2人の結婚は制約が多すぎて、基本的にタブーなんです」「はぁ・・」「それで、今2人で話してたんですけど、結婚費用だと思ってこれを・・その・・いただこうかって」「え・・?」ちょっと一瞬頭が回らなかった。理解したとたんに泣きそうになった。「でも、今は本当にお金がなくて・・。4ヶ月後に買いにきます」「お取り置きはできますか?」「も・もちろんです」「じゃあ、12月24日に届けてください」「クリスマス・・ですか?」「はい。2人から2人へのクリスマスプレゼントにします」

そして、
毎日の忙しさに、そんなこんなをすっかり忘れていた1年後。
同じように
暖かい三連休の秋の日。
ナツが涙ぐんで持ってきた一通の手紙。

同封されていた写真。

光の差し込む明るい事務所。
その間取りにはちょっと大きすぎるテーブル。
小さなクリスマスツリーの横で、
かしこまってファインダーを見る2人。

同封されていた手紙

先日はお世話になりました。
僕らの仕事は順調です
あと、報告です

私たちこの秋に結婚しました。






















2013年9月10日火曜日

岬の向こう

「野田君、少し昔話をしてもいいかな?」

その老人は介護用のベッドに横たわり、少し咳込みながら静かに言った。彼の療養所兼自宅は逗子の海が見える高台にあって、窓の外には軍艦のような入道雲と出港していく船が小さく見えた。


「店舗を増やして大型化を目指すか、今ある数店舗を充実させていくか」

当時、僕が悩み抜いていたその問いのアドバイスを、ある人物に求めてご自宅へお伺いした、ひどく暑かった夏の日の話だ。

老人は・・・。
彼方遠くを見つめながらひっそりと話し始めた。


「遠い昔の話だ。小さな高速艇に乗っていた時代だな。私たちはまだ若く、世界は希望と混沌に満ちていて、一寸先さえ見ようとしなかった。たった数名のお客様を海岸から岬の先に渡すだけの仕事だったが、私たちの仕事ぶりの評判は非常に高く、いつも順番待ちの状態だった。そんなある日仲間の一人が言った。

「なぁ、あの水平線の向こうには何があるのかな。楽しいことが待ってる気がするんだよ。で、提案だけど、岬の向こうまで行こうぜ、商売を広げる時が来たんだよ」

岬の向こうは海流も悪いし岩場も多い。分かってはいたが、血気盛んな私たちは何の計算もなく仕事の枠を広げた。岬の先を目指したんだな。

私たちは、すぐに自分たちの思慮の浅さを痛感した。うまく行く事もあったが、ほとんどは挫折の連続だった。お客様へのサービスもおざなりになって、自分たちの名誉を維持するためにだけ血の汗を流しているような気さえしてきた。一番こたえたのは仲間数人の離散だ。彼らは言った。「俺たちは岬の仕事に戻るよ」私を含めた残された仲間は毎晩散々語り合った。なぜ、こんなに辛いのか、そして・・・

『なぜ、こうまでして先に進まなければならないのか』

より大きな商売にして、より多くのお客様に快適を届けるため・・。しかし、そんな美辞麗句は空虚に響いた。誰もが思っていた。そんな上滑りな理由なんて本当は嘘っぱちだって。結局私たちはさっぱり分からなかったんだ。夜が明けて、それでも歯を食いしばって今日も仕事に出かけて行くその理由が。

そして、幾年かの年月が流れた。私たちの事業はまだ奇跡的に自分の脚で立っていた。会社の船は大きくなり、数も増えていた。政治的な仕事も増え、噂を聞きつけて、いろんな人たちが集まって来た。誰もが私たちを指して成功者だと言った。当然生活は安定してくる。でもその代わり、私たちの筋力は少し衰え、髪に白髪も混じってきた。私たちはいろんな人々に利用され、利用していった。岬の頃の昔話が増えて来た。「あいつらどうしてるかな?」「あんなお客さんいたよな」結局みんな思っていたんだ。どうしてあの頃の充実感がないんだろうって。辛い。そしてこれは永遠に続くんだろうなって。事業はもうここまででいいじゃないか。胸を張ろう。私たちは充分良くやったさ。

しかし、ある日。私たちは突然発見する。若い頃の自分たちに良く似た目を持っている若者たちが身内に居る事を。荒々しく舳先に立ち、ひたすら一心に、未来へ目を向ける若者たち。彼らはうつむいた私たちの見えないところで、しっかりと育っていたのだ。長い年月の間、もうずっと長い間、語らうべき話題なんてなかったのに、私たちは再び彼らの事を熱心に話し始めた。語りながらなぜか涙が止まらなかった。まだ稚拙で未熟な若者たちは、放射する情熱というただ一点において私たちを肯定し救ったのだ。私たちはもう一度水平線の向こうに目を向け始めた。なあ、まだ行けるよな?今度はあいつらのために・・。仲間の一人が顔をくしゃくしゃにしながら言った。みんながいっせいに頷いた。互いの手を握り合った。大丈夫さ。まだまだ行けるぞ。まだ見ぬ水平線の向こうへ!!

さらに長い日々が流れた。今や私たちの世界は大きく広がった。だがもう見ての通り一人で立ち上がることもできないし、仲間の数人はもういない。でもな、この一生という長い年月で経験してきた挫折の一つ一つでさえ、幸せという形に代わって今この心にある。写真なんていらない。私の胸にはっきりと残っているから。そして、今なら分かる。私たちを前に進めた正体が。『なぜ、こうまでして先に進まなければならないのか』の答えが。

「なぁ、あの水平線の向こうには何があるのかな。楽しいことが待ってる気がするんだよ。」

「・・そうだ。実に、そのたった一言の言葉が長い間私たち苦しめ、前へと進めた。そのたった一言の言葉が私たちの夢となり、長い長い旅路の羅針盤となったんだ。君の質問の答えになるかは分からんが、君たちは君たちの見たいものを見に行けばいいんだよ。そして常に決して考え過ぎない事だ。正しいかどうかなんて理屈はまったく関係ない。ただ好奇心と情熱に従えばいいんだよ」

今でも夏になると、
僕は彼の話を時々思い出しては、胸が詰まるような気持ちになる。
ホームで通り過ぎる電車を見送ったり。

蜃気楼の坂道を自転車で登ったりしている時に。


2013年8月31日土曜日

仲間へ

2003年の8月31日。
僕は35歳で「住南プロジェクト」という個人事業を立ち上げ、国金から300万借りて、茅ヶ崎にたった5坪のインテリアショップAREAをOPENさせた。独立に早いとか遅いとかあるのかな。それは今でも分からないけど、僕には君らが居たからな。所、佐々木、生田、倉吉、松江。創業からの10年間本当にありがとう。みんながいたからここまで来れたよ。

「10年後AREAは存在してるかな・・」「そんな先のこと分からないよ。明日のことだってわからないじゃん」覚えてるかな?茅ヶ崎1号店時代、あの雪の日。その日も全然お客さんが来なくて、居酒屋でみんなで途方に暮れて、全然会話が続かなくて、黙ってしまったことがあった。

でも・・・あるね!!
僕らはしっかり存在しているね。

それどころか、あの時の僕らには想像もつかないくらいウチの会社は立派になった。
「結構有名になってるぜ?自信もっていいよ。でも激闘の10年だから覚悟しな」タイムマシンがあったらあの雪の日に戻って、あの日の僕らにそう伝えてあげたいな。あの居酒屋はもう潰れてないけど・・。はは。笑える。

これを書いているたった今。
2013年8月31日PM8:00。

さあ、店を閉めよう。そして今日は安い居酒屋に行こう。10年間のよもやま話なんて恥ずかしいから、いつも通り普通の話をしよう。

そして。
明日から11年目が始まる。
これからも変わらず、みんなでずっと一緒に行けるかなんて分からないけど、行ける所まで行こう。僕らも結構いい年になった。でも気づけば下の子たちもたくさん育ってきてる。大丈夫だよ。岬の向こうを見に行こう。まだまだ冒険は続くんだ。


2013年8月7日水曜日

Matthew's Green Park





愛するマーガレットへ

世界から音楽がなくならないように、
世界から草花がなくならないように、
僕も一人じゃない。
だから、
君は一人じゃない。

マシュー・T   
                                                     




Matthew's Green Park




丘の上の公園で一人の女性が彼の手紙の言葉を思い出して泣いている。
薄い雨の中、彼女は彼のギターのリフを聴いている。



 イギリスのグラスゴー、その美しい田舎町に、マシュー・テイラーという男の子がいた。音楽の神様に愛された少年だった。

聡明な顔立ちをしていたが、生まれつき声を出せないというハンデを持っていた。
彼は学校から帰ると、グラスゴーの丘の上で、ギターを弾いてすごした。
小さな体と大きなギター。
少年の前のめりに弾くギターは、
やがて、村の人たちを魅了した。

マシューは草花が大好きだった。
同年代の友達にはよくいじめられたから
草花に囲まれていた方が心が落ち着いた。
一人でいることは辛かった。
でも、他人に屈辱を与えられるのは、それ以上に嫌だった。

村人は皆、彼に、都会に行って腕試しすることを勧めたが、マシューはニコニコしながら首をふるだけだった。

丘に登り、アイビーやヒースの世話をしながら、木の下に座ってギターを弾く。
通りがかる人たちは、しばし足を止めて、その美しい音色に聞き惚れ、また、何かを思い出したように、先を急ぐ。
彼はそんな毎日で充分幸せだったのだ。

ある日、マシューは彼の音色に集まった人たちの中に、一人の青年を見つけた。ドキッとした。
青年はマシューが最も敬愛するインディーズバンドのボーカルだった。
人々が立ち去った後、青年が近づいてきた。
「きれいな曲だ。抜群にうまいね。正直ビックリだよ」
マシューは顔を真っ赤にしてもじもじした。
「歌えるのかい?」
マシューはさらに顔を赤くして首をふった。
青年はしゃがんで、うつむくマシューの顔を下から覗き込んだ。
「名前は?」
マシューは枯れ枝を手に取って、地面に名前を書いた。
Matthew?」
コクリとうなずいた。
「伝統的ないい名前だ。僕はジョージ。ジョージ・エバンス。よろしくマシュー」
またコクリとうなずいた。
「喋れないのかい?」
マシューはさらに小さく縮こまり、胸のギターをギュッと抱きしめた。
「ねぇ、ロンドンに来たら僕を訪ねておいで」
ジョージはマシューに自分のアドレスの入ったネームカードを手渡した。

それから5年の月日が経った。
すっかり大きくなったマシューは、母親にロンドンに行くと告げ、グラスゴーを後にした。
女手一つで彼を育てた母親は、最後にこう聞いた。
「丘のお花の世話は誰がするんだい?」
マシューは少し寂しい顔をしたが、その声を振り切るように背中を向けた。

都会の街は驚くようなことばかりだった。
人の数、車の数には閉口したが、おいしそうなものが並ぶ路地の屋台や、きらびやかな百貨店のウィンドウを見るにつけ、彼の心はギュッとなるくらい楽しい気持ちになった。
マシューはふわふわした足取りで街を歩き回った。
まずは仕事を探さなければならない。
彼は図書館に行って求人情報を探すことにした。

なかなか就職が決まらず落ち込んでいたある朝、彼は決意をした。
昔もらったネームカード。
ジョージの所属事務所はお隣のブロックだった。
彼は僕のことを覚えてくれているだろうか。
筆記で受付の女性に訪問の旨を伝えた。
まさにその時、大きな玄関ドアからジョージが入ってきた。
もう今や世界のロックスターに駆け上った若きカリスマは、彼の前でふと足を止め、ビックリした顔をした。
「マシューじゃないか!!
ジョージは大きく手を広げて彼を抱きしめた。
「大きくなったね。手を見せてごらん」
マシューは大きく手を広げた。
ジョージが目を見張った。
「すごい。理想的な指だ」
そして左手の指先を触り、ニッコリ笑った。
「続けていたんだね」
マシューもニッコリ笑った。
「来いよマシュー! 一緒にやろう」

スタジオのクルーたちは訝しげな顔をした。
「誰だい?その子?」
ジョージは得意顔でみんなにマシューを紹介した。
ギターの天才なんだ。

マシューはギターをアンプにプラグインすると
ジョージに目で合図をした。
Go ! ジョージも目で頷いた。

音がうねる。
音が切れる。
音が崩れる。
音が生まれ、
音が広がる。

無秩序が秩序を作る。
その秩序すら次の瞬間に裏切られる。
「すごい」
誰もが息を飲んだ。
「ジミーヘンドリックスか?」
「いや、全然違う。オリジナルだろ」
誰もが口を開けた。
「ヤバいな」
誰かが口の奥でそう呟いた。

1時間後。
マシューは契約書の前で困っていた。
人前に立つのは苦手だ。
筆記で丁寧に断ると、逃げるように部屋を出た。

その日スタジオに居合わせた子に、
マーガレット・ワイスという女の子がいた。
ボイストレーナーの卵だった。
それ以降、なぜか彼女は毎日マシューの部屋を訪れた。
彼女もまた無口な若者だった。
自分がどれだけマシューの音に心を奪われたか。
それを不器用に伝えようとして、
うまく言えずに、困ったように黙り込む。
毎日そんな繰り返しだった。
午後の1時間ほど、2人は陽の射す柔らかい時間を無言で過ごす。
手も握らないし、ほとんど会話もない。そんな何気ない時間だった。
でも、マシューは彼女をだんだん好きになっていく自分に気づいていた。
白いワンピースを着たマーガレットを誰よりもきれいだと思った。
しかし、当惑も大きかった。自分には何もない。
人見知りで郵便配達をしながら細々と暮らす自分には彼女を幸福にする資格なんてない。
声が出ればもう少し自分に自信がもてるのだろうか?
そう考える自分が本当に悲しかった。

そんなある日。
「マシュー?」
マーガレットのいつになく固い声にマシューは振り向いた。
「声を出してみようよ」
マーガレットの顔が硬直していた。
「わたしずっと勉強してたの」
勇気を出してようやく言えた提案だというのが分かった。
「すごく辛いと思うけど一緒にがんばろう?」
ボイストレーナーの仕事の傍ら障害者の発声練習の研究をしていたという。
マシューはかぶりを振った。
無理だよ。やだよ。
ちょっとした押し問答があったが、今日のマーガレットは引かなかった。
すごく恥ずかしい気持ちになった。
声を出せないことを責められているようだった。
学校でさんざんいじめられたことを思い出した。
囲まれて笑われた思い出。
怖くなった。
マシューは彼女を突き飛ばした。
部屋を出た。
街をさまよい歩いた。
夜になって部屋に帰って丸まって寝た。

翌日から彼女は部屋に来なくなった。

そして季節は過ぎた。
夏が過ぎ冬が来て春が来て・・・また夏が来た。

ある晴れた日の朝、一枚のメモが郵便受けに入っていた。
ジョージからだった。

ジョージは角のカフェでマシューを待っていた。
白紙の紙をいっぱい持っていた。
開口一番ジョージは言った。

「この国最大の野外フェスがあるんだ」
<はい>
「僕らが最終日のトリだ」
<知ってます>
「出てくれないか?」
<・・・?>
「僕たちの前にゲリラで5分の時間をもらった」
<僕が?>
「そうだ」
<どうしてですか?>
「その資格があるからだ」
<あるわけがないよ>
「いや、ある」
<無理です>
「義務もある」
<義務?>
「そうさ」
<よく・・分からないです>
「なあ、マシュー。君は世界一の腕を持っている。僕が言うんだから間違いない。まず、それが資格だ」
<・・・>
「もう一つ。君は一人じゃない。だからいつまでも一人でいちゃいけないよ」

マシューのペンがピタリと止まった。

「君は今、君の人生で乗り越えなければならない大事な場所に立っている。僕はそこを乗り越える機会を君にあげたい。つまりこれは君の君に対する義務なんだ」

ロック界のカリスマボーカルが真っ正面からマシューを見つめた。
「なあ、もう一度言うよ?」
「・・・」
「人は一人でいちゃいけないんだ !!

窓から射す夕陽に照らされながらマシューは身動き一つしなかった。
なぜか頭に浮かぶのはマーガレットの顔だった。
涙ぐんで困っている顔だ。
「わたしずっと勉強してたの」
真っ赤な顔でそう言った。
マシューを傷つけたくない。
でも、このままじゃいけない。
そう思って一代決心をしたのだ。
Fesの件・・・。きっとジョージにも相談してくれたんだろう。
無口で引っ込み思案で、彼女は僕と同じなのに。
・・・それなのに、僕のためにあれだけ頑張ってくれた。
突き飛ばした時の悲しく歪んだ顔。
ごめん。マーガレット、ごめんね。
突然マシューは起き上がった。紙にコード進行を書いて行く。
人はひとりじゃない。
ギターを引き寄せた!
僕も一人じゃない?
あの丘のアイビー。母親の顔。村の人の優しい笑顔。
指が動く。想いが音になって行く。

ずっと一人だと思っていた。
でも本当は一人じゃなかったのかもしれない。
決して多くはなかったけど。
僕を見ていてくれてた人は居たじゃないか。
僕を一人にしていたのは、僕自身なのかもしれない。
そうだよ。
ダメだ。このままじゃダメなんだ。

もう僕は一人は嫌だ !!

数日後ボサボサの髪でマーガレットの前に立ったマシューは発話障害のトレーニングを申し出た。どんな顔をされてもいい。必死にお願いするだけだ。1年ぶりの再開。マーガレットは胸に手を当ててうつむいた。細い肩が小刻みに震え始めた。「ごめんなさい。あなたを傷つけて。一番触れられたくないことを・・私・・一番マシューが嫌なことを・・」ついにマーガレットがしゃくり上げた。「何度も謝ろうって思って、でも私、怖くて・・」違う。違うんだ。僕が臆病で・・謝るのは僕のほうなんだよ。だから泣かないで。彼はポケットから手帳を出した。<ごめん。聞いて?>マーガレットが顔を上げる。<僕、Fesに出るよ。それから・・・> <もう僕は決して君を一人にしない> 走り書き。マーガレットは急にその場でしゃがみ込んだ。<大丈夫?>マシューもその場にしゃがみ込む。「違うの・・」嬉しいの。彼女は小さくそう言って、笑いながらまた泣いた。

それから数ヶ月間。地獄のトレーニングが続いた。
本当に何度も口から血が出るかと思った。
マシューは憑かれたようにマーガレットの用意したカリキュラムをこなした。
夜になるとあの日に書いた曲を複雑にアレンジしていった。
蟻の付け入る隙のないほどにブラッシュアップを繰りかえした。
結局すべての準備が終わったのはFesの前夜だった。
それでも不安で眠れないマシュー。
とうとう朝日が窓から差し込んだ。
彼はベッドから出ると、小さなデスクに向かった。
そして、たった5行のラブレターをマーガレット宛てに書いた。
<世界から・・・>

象よりも大きなスピーカーが何台も積んである。
裏の入り口からバックステージに入る。
何十人ものスタッフがせわしなく動いている。
舞台上の音合わせ。
何度も何度も暗語、サイン、ステージワークの打ち合わせを念押しされる。
機材の隙間からチラッと見えた観客。
こんなに多くの人を見たのは生まれて初めてだ。
うねる海のようだった。
誰かに足を掴まれた。つんのめりかける。
足下に目をやる。誰も掴んでなどいなかった。
膝が硬直しているのだ。
後ろでジョージが何か言っている。
ベースのスミス君が親指を立てた。

いいですか?行きますよ?
バンッとスタッフの誰かに背中を押された。


ステージに出た!!
幾筋ものまばゆい光が全身を包んだ。
そして次の瞬間、マシューを包むこの世の全ての音が・・・消えた。

気づくと、マシューは暖かく音のない陽だまりの中にいた。
不思議だ、もう何も怖くない。
心がしんと静まり返った。

背が高く体の細い、若いルーキーがギターを持った。
光を背負って、マイクの前に立つ。
彼はゆっくりとギターを持ち上げた。
頭より遥か高く。
その神聖なる道具を天に突き立てた。
その揺るぎのないシルエットに何万人の人間が地響きのような音を立てた。
期待の地鳴り。
何かが起こる予感を誰もが感じたその時、
彼はおごそかにその右手を振り下ろした。
F
最新の超巨大スピーカーが凄まじい爆音をたてた。
曲が始まった。
誰も聴いたことのないコード進行。
誰も見たことのない運指。
どよめきが大津波のように広がった。

マスコミ大手、売れっ子音楽記者たちの全身に鳥肌が立った。
横にいるトータルプロデューサーの咥えていたシガーが地面に落ちる。
ミュージシャンたちが身を乗り出して彼の左手の動きを追った。
次の準備をしていたTVカメラが一斉に回り始める。
プロモーターが片耳を押さえて携帯に怒鳴っている。
両隣のステージの観客でさえ、その音源の方角へ視線を向けた。

常識を超える楽曲だった。

「これがマシューか」
ジョージがひっそりと呟いた。

**************************************************

「明日・・一度しか出ないね、声」
<充分だよ>
「ワンフレーズだけだよ」
<うん>
「無理はやだよ」
<分かってる>
「何て言うの?」
<秘密だよ>
<ねぇ。マーガレット>
「何?」
「愛してる」

*************************************************

マーガレットは両手を胸の前で握った。
マシューの音が縦横にステージ空間を切り裂く。
ギターと戯れてしなやかな躍動に踊っている姿。
なんて美しいんだろう。
私も愛してる。ありがとう。大好き。
ねぇ・・・。
曲が終わるよ。マシュー。

徐々にスローになるアルペジオ。
マシューは初めてマイクに口を寄せた。
曲の終わりのワンストローク。そして、

Thank You !!

広大な野音会場に、
そして、この世界に、
初めてマシューの声が響いた。
美しく通る声に誰もが息を飲んだ。
静まり返るステージ。
誰もが彼の次の言葉を待った。

マシューはこれ以上ないというくらい、
大きく大きく息を吸い込んだ。
もう二度と喋れなくてもいいと思った。
でもこれだけは言いたいんだ。
できるだけ大きな声で。
マーガレット、ジョージ、グラスゴーのみんな、
・・・母さん。
そしてこの世界のすべての人へ。

You are not aloooone !!!!!!

マーガレットが顔を両手で覆った。
次の瞬間ステージで爆発が起きた。
数万人の歓声。
その熱波にマシューは目を閉じた。
口の奥で呟いた。
ありがとう。ありがとう。
何度も何度も唱えるように。

そうしてマシューは自分と世界を自分の力で取り戻した。

***************************************************

正直に言うと、この話はここで終わりにしたい。
しかし、続けなければならないのだろう。
そうしなければ、ある意味彼を冒涜することになるからだ。

そう。
まったく馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが。
マシューはその数日後交通事故に遭う。

それは、世の伝説にありがちな、
まさに予定調和のような死であった。
たった1日で世界中を魅了したロックスターの死。
そんな見出しがネットやTVのニュースで踊った。

ジョージは記者会見でこう言った。
「音楽は未来を失った」
僕は今、彼のいないこの世界を大きな重荷に感じている。

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そして、その後。
マシューの故郷で不思議ことが起こった。
マシューの愛した丘に花や木が増えて行くのだ。
最初はちょっとしたきっかけだった。
村人の一人が献花として生前彼の愛したイングランドアイビーをその丘に植えた。
それがYouTubeで流れた。
あっという間に音楽ファンに広まった。
長い巡礼の列ができた。
たくさんの人が木や草や花を持って世界中から集まってきた。
ベンチが置かれ、
人が集まり、
その丘は半年もしないうちに公園になった。

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グラスゴー。
丘の上の緑の公園。
一人の女性が彼の手紙の言葉を思い出して泣いている。
薄い雨の中、彼女は彼のギターのリフを聴いている。

<世界から音楽がなくならないように>
<世界から草花がなくならないように>

「うん」

やがて雨が止み、
空の彼方から幾筋かの光が差す頃、

<僕も一人じゃない>
<だから>

彼女はようやく立ち上がった。

<君は一人じゃない>

「大丈夫」
「私がんばるから。ちゃんと見ていてね」

白いワンピースに付いた土をパタパタと叩き、涙を拭いた。
「ありがとう」

彼女の声を春の風が優しくさらって行った。